窪塚は、私生活では2児の父親である。9日には、16歳になった長男で俳優・愛流の誕生日を一家で祝うショットを自身のインスタグラムに投稿したところ、「みんなでお祝いできるって素敵」などといった賞賛の声が寄せられた。投稿された画像を見る限り、誕生日会には愛流の実母である窪塚の前妻も出席したようだ。
窪塚というと、1995年に俳優デビューし、98年のドラマ『GTO』(フジテレビ系)や2000年のドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)などで大ブレイク。窪塚の個性的な雰囲気から、風変わりな役柄がハマり、01年公開の初主演映画『GO』では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を史上最年少で受賞した。
以降も映画出演が相次ぐ人気ぶりだったが、2003年5月に愛流の母と“できちゃった婚”を発表。窪塚は、子育てを理由に芸能活動を半ば休業した。しかし、その矢先の04年6月、窪塚は自宅マンションの9階自室のテラスから転落し、全治2カ月の怪我を負って世間を騒然とさせた。
転落の原因についてさまざまな憶測が流れ、以降は、徐々にメディア露出が減少していった。2005年公開の映画『鳶がクルリと』で復帰すると、06年には「卍LINE(マンジライン)」名義でレゲエアーティストとしての仕事を開始。さらには、「空水」名義でミュージックビデオの監督も務めるなど、幅広い分野でマルチな才能を広げていった。
しかし、2012年6月に窪塚は“円満離婚”を発表した。窪塚のファンから「悲しい」などの声が寄せられる中、「愛のカタチが変わったんだよ、そのうちわかるさ。愛は愛。なくならない」と独特の言い回しでファンを安堵させた。
離婚後は、愛流の親権を持った窪塚だが、それも束の間、離婚の翌月には現在の妻に当たるレゲエダンサー・PINKYこと菅原優香との熱愛が報じられ、窪塚は隠すことなく交際を続けた。
だが、窪塚が離婚届を提出した日は、PINKYの誕生日であったと報じられた。PINKYは自身のツイッターで「何よりのBirthdayプレゼント…ダーリン」「プレゼントいっぱいもらったけど…何よりもこの世の中で彼にしかできない唯一の私への贈り物が一番に嬉しい…」などと離婚を喜ぶツイートを連発していたことが判明し、かねてから不倫の関係にあったのではとの疑惑が生じた。
「窪塚のバックダンサーとして活躍していたPINKYとは、元妻と離婚する前から男女の仲だったと業界では噂でした。そして、PINKYと元妻はともにレゲエダンサーです。もともと顔見知りだった2人ですが、PINKYと元妻で話し合いを経て交際を承諾したと言います。当初は“不倫”でしたが、元妻には一応スジを通したようです。ですが、結果的にはPINKYが窪塚を“略奪”した形となり、世間はPINKYを冷ややかな目で見てしまったのでしょう。しかし、窪塚との生活を手に入れたPINKYは外野の批判などお構いなしでした」(芸能ライター)
2015年12月、窪塚は「さらなる高みを目指すため」と宣言し、PINKYと結婚することを報告。晴れて2人は夫婦となり、17年6月に長女が誕生した。
窪塚は、若かりしころのとがった感情が徐々に薄れ、家庭的な一面が見られる現在のSNSは人気のようだ。元妻と新たな窪塚一家が箸をつつき合う光景は、はたから見ると異色である。それが自分本位でなく、愛流を第一に考えてのことだとすれば夫婦の器のデカさはハンパないだろう。