東山というと、小学6年生のときに東京・渋谷のスクランブル交差点での信号待ちで、たまたま車で通りがかった故・ジャニー喜多川さんの目に留まり、社長自らスカウトされた逸材である。
1979年にジャニーズ事務所に入所。先輩アイドルのバックダンサーを務め、82年に少年隊のメンバーとなった。そして、85年12月に『仮面舞踏会』でデビューを果たし、トップアイドルの座に君臨した。
以降、絶対的なアイドルの地位を誇り、同事務所の中心的なタレントとして大きな存在感を放っている。私生活では、2010年10月に女優の木村佳乃と結婚。11年11月に長女をもうけ、ジャニーズきってのイクメンパパとして先頭に立った。
そんな矢先の2012年4月、元巨乳グラドルとの“不倫密会”現場を『フラッシュ』(光文社)に激写されたのだ。
同誌によると、東山はタレント・宮田はるなの都内の自宅を訪れ、慣れた様子で家の中へ入っていったという。それから5時間半後の深夜、東山は宮田宅を後に。家の中から見送る宮田にわざわざ後ろを向いて手を振り、送迎車に乗り込み親密さを見せつけた。
宮田はかつてのイエローキャブに所属したお色気たっぷりのグラドル。タレントに転身後も芸能界で顔をきかせ、東山率いる男性芸能人のために合コンを主催していたという。宮田は同誌の直撃に対し、「尊敬する先輩です。あの日は、私の引っ越し祝いだったんです。ほかに友人も来てましたし…」と説明した。だが、密会の当日、東山以外に来訪者はなかったと報じられている。
一方、東山は所属事務所を通して、「僕自身の軽率な行動により、誤解を招いてしまったことを反省しております」とあっさり謝罪。さらに、宮田とは「後ろ指をさされるような関係ではいっさいありません」と不倫の関係を否定した。
「東山は、同年6月公開の映画『幸せへのキセキ』で父親役の吹き替えを担当するなどパパタレとしての仕事が増え、同事務所の“風紀委員”として、後輩たちの先頭に立ち良き手本となる立場でした。同年2月に電撃婚した後輩・赤西仁に対しても『大人はルールを大事にしていくのが基本。ルールを破らなければ円満にいく』と苦言を呈した矢先の大チョンボ。ですが、事務所の“圧力”で後追い報道はなく騒動はフェードアウトし、東山は無傷で済みました」(芸能ライター)
東山は同映画の試写会イベントに出席。報道後初の公の場となったその場で、女性宅への滞在について、「誤解ですから。信じていただければ」と訴えた。また、木村の怒りを買ったのかとの記者からの問いにも「全然」と円満を強調した。さらに、長女を授かったばかりの時期の失態に東山は、「こういうときは、より大切な人が分かったりする。かえってよかった。(報道が)出るということはまだまだ。子供と一緒に成長していきたいし、しっかりしていきたい」と肝に銘じた。
だが、こんな噂も立った。
「宮田が事前に自ら同誌にネタをリークしたという。相手が新婚のアイドルとあって、イメージダウンになることは必至。売名行為とも取れるが、東山に好意を寄せた宮田が木村と離婚させようと“執念”をむき出しにしたようだ」(芸能関係者)
アイドル時代から、女性関係が派手だった東山だけに、事務所や木村もある程度は覚悟ができていたのだろう。一方、面子を潰されかけた東山は、事務所に守られ危機一髪。13年5月には次女も誕生し、平穏な生活を送っているようだ。くれぐれも2度目がないことを祈りたい。