当時、オウムが直接、あるいは間接の疑いがあった事件には、広域暴力団や大物政治家、北朝鮮および朝鮮総連、ロシアマフィア、新興宗教団体が関わっているとウワサされたが、結局真相は解明されなかった。
『国松孝次警察庁長官狙撃事件』は実行犯が逮捕されておらず、背後関係も分かっていない。一方『村井秀夫刺殺事件』は実行犯は逮捕されたが、背後関係は解明されていない。「狙撃事件」が起きる10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられ、8日前の3月22日に、オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた。
「狙撃事件」は95年3月30日に起きている。全国22万人の警察庁のトップだった国松孝次長官が、自宅マンションを出たところで何者かに狙撃されるという前代未聞の事件だ。公安部はオウム信者の杉山敏行元巡査長の自供を元に逮捕に踏み切ったが、決定的な証拠が見つからず不起訴となった。
公安部の捜査が頓挫する中、刑事部は中村泰受刑者に目を付けた。中村は、当時拳銃を使った現金輸送車襲撃事件で岐阜刑務所に服役中であり、過去にも警察官を殺害した事件を起こしたこともある。東大出のスナイパーで、自供を引き出したが逮捕には至らず、13年に時効を迎えている。
「狙撃事件」から1カ月後の95年4月23日夜、東京・港区南青山のオウム真理教東京総本部前に集まる多数の報道陣の目の前で、教団のナンバー2、村井秀夫幹部が包丁で脇腹を刺され、翌日未明に死亡した。右翼団体構成員を名乗る当時29歳の徐裕行容疑者が現行犯逮捕された。
徐は「山口組系暴力団幹部・Kの指示でやった」と供述、捜査当局はKに依頼した人物へと指揮系統をたぐっていくという構図を描いたが、2人の主張は食い違い捜査は難航した。
結局95年に徐被告は懲役12年の実刑が確定。一方、Kには97年に無罪判決が下った。裁判長は「事件は単独犯行ではなく、何らかの背後関係があると強く疑われる」と指摘したが、「Kが犯行を命じた」という徐の供述の信用性は否定された。
村井は病院に搬送される際、「誰にやられたんだ」という救急隊員の質問に対し、「ユダ、ユダ」と繰り返したという。ユダはイエス・キリストを裏切った人物だ。
果たして教団内にユダはいたのだろうか。