こうした悲惨な境遇のピン芸人はキートンばかりではない。『R-1』に出場するピン芸人は優勝前はほぼ無名な存在の人間も多く、仕事を得るには何かと苦労するようだ。
「かつて、ほっしゃん。を名乗っていた星田英利は、宮川大輔とチュッパチャップスを名乗りコンビを組んでいましたが1999年に解散。その後、上京するも仕事がまったくなく、4年間で仕事が3日しか入らない時期もあったようです。その間はひたすら地下鉄工事のアルバイトをしていました。2005年に『R-1』で悲願の優勝を果たしブレークにつながります。ただ最近は、SNS上で政治的な発言をするほか、一般人と喧嘩をしたり、芸人引退を示唆するなど迷走気味で、バラエティ番組での露出はあまり見られなくなりました」(芸能関係者)
元ほっしゃん。の場合はオーソドックスに優勝がブレークにつながった例といえるが、必ずしもそうならない場合もいる。
「2009年のR-1第7回大会で優勝した中山功太は、大阪で中途半端に売れていたため、帯レギュラー番組が抜けられず東京進出のタイミングを見失いました。そのため、今は東京でもっぱらアルバイト生活を送っており芸人としての仕事はほとんどないようですね。さらに、起死回生を狙って2012年に行った、麒麟川島との芸人引退を賭けた大喜利対決で負けてしまい、現在は『芸人は引退したがタレントとして再出発』の状態のようです。
2014年のR-1第12回大会優勝のやまもとまさみは、一人コントでは抜群のセンスを発揮し優勝するも、フリートークが大の苦手のためテレビから消えてしまいました。今は安定した収入を確保するため副業でクレープ店を経営しています。本人の気持ちとしては、あくまで本業は芸人のようですね」(前出・同)
優勝するもその後の活動が迷走、東京進出タイミングの見誤り、フリートークやアドリブが苦手と理由はさまざまなれど、もともと『R-1』は『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)に比べて知名度が低いためか、優勝後にも目立った活躍ができず、結果的に悲惨な境遇に陥ってしまう芸人も多そうだ。
記事内の引用について キートンのツイッターより https://twitter.com/masuyakeaton