この後、八王子城は3万を超える大軍に包囲されるが、重臣たちは氏照の命を守り、降伏を拒んで徹底抗戦を続ける。八王子城は関東でも有数の堅城だが、氏照が主力を率いて小田原城へ向かったために、わずかの守備兵しかいない。このため敵の圧力を抑え切れず、敵兵が城内に乱入。「もはや、ここまでじゃな」と、氏照の正室は曲輪の下にあった滝壺に身を投げた。
女子供や武将たちもそれに続き、城内に避難していた農民たちまでも滝壺に飛び込む。また、生き残った者たちも見せしめとして豊臣方に虐殺され、遺骸は川に投げ捨てられた。このため滝の下流は、川水が三日三晩血で染まったと伝えられる。八王子城が落城した6月23日には「恐ろしいことが起こる」といわれ、土地人は今でも城跡に近づかない。