犯行内容は極めて悪質なものだった。犯人は事前に姉妹が住むマンション内に侵入し、姉が帰宅すると背後からナイフで襲撃。何度もナイフを突き刺しながら性的暴行に及んだ。その後に妹が帰宅後も、同じような手口で強姦し暴行を加えた。
殺害後、犯人はベランダでタバコを吸った後に姉妹の心臓にナイフを突き刺してとどめを刺すと、金品を奪い室内に火を放って逃走するという極めて残虐な事件だった。
当初は、犯行手口からストーカー殺人ではないかと見られていたが、事件からおよそ半月後の12月5日に事態は大きく動く。同じマンション内の別室に居住していた22歳の男を容疑者として特定し、逮捕に至ったのだ。驚くことにその男は姉妹とは面識がなかった。
逮捕された男は、22歳という若い年齢や端正な顔立ちだったこともあり、メディアで大きく取り上げられるも、この男には隠すことの出来ない重大な過去があった。この男は、この事件が発生する約5年前、16歳の少年による金属バット母親撲殺事件の犯人そのものであったからだ。
男の生い立ちは壮絶なものであった。事件の真相について共同通信社記者の池谷孝司氏が調査した著書『死刑でいいです 孤立が生んだ二つの殺人』(新潮文庫)によると、父親は建設作業員であったが酒癖が悪く、男は母親とともに理不尽な暴力を振るわれる日々を過ごした。男が小学校5年生の時に父親は肝硬変で他界するが、母子家庭となったことで貧困が悪化する。男は友人がほとんどおらず中学校ではいじめられ、高校への進学はせず。アルバイトで家庭を支えるが、母親が買い物依存症で膨大な借金を作り親子関係が悪化。そして2000年7月、口論の末に頭に血が上った男は金属バットで母親を滅多打ちにして殺害。16歳少年による殺人事件ということで、テレビや新聞では実名や顔写真は公開なかったが、ネットなどでは男の顔写真が流出した。
2000年9月に少年法が改定され、重大犯罪を犯した場合に成人と同じく刑事罰を与えることができる年齢が16歳以上から14歳以上へと切り替わった。この男は当時16歳で刑事罰対象者であったが、裁判所は「年齢的に見ても矯正は充分可能」として、男を中等少年院送致とする保護処分の決定を下した。男は僅か3年間で少年院を退院し、パチンコ屋で働くもすぐに退職。その後はパチスロ機を不正に操作して稼ぐ「ゴト師集団」に加入するも、うまくいかずにグループを離脱する。男は公園などに野宿する生活を送るようになるが、母親殺害の際に感じた興奮と快楽が忘れられず、その快楽を再び得るために犯行に及んだという。
裁判で男は起訴内容を認め、2007年5月に男が望んだ通り死刑が確定する。男は反省の弁を一切述べずに、「さっさと死刑にしてほしい」と主張したという。
裁判中に行われた精神鑑定では責任能力が認められた。男は精神鑑定の途中から心を閉ざし、多くを語ることはなかったというが、犯行の動機は男の半生にあるとの指摘がある。不幸な家庭環境、不遇な少年期、一度目の事件後の少年院送致の妥当性、退院後のサポート体制…。男が人間として成長していく過程で、真摯に向き合う人がいたら、こんな冷酷で残虐な事件は起きなかったのかもしれない。
公判の被告人質問で、男は「人を殺すことと物を壊すことはまったく同じこと」と述べたという。弁護人が差し入れたノートにも「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい」と記すなど、反省はおろか、殺人への欲求が治まらない状況であることを記していたという。
同事件を犯罪心理の目線から調査した法医学者の上野正彦氏の『死体の犯罪心理学』 (アスキー新書)によると、男は大阪姉妹殺人事件の検事に「16歳の時に母親を殺した際に返り血を流すためシャワーを浴びたら、射精していたことに気づいた」と述べたと記されている。この頃にはすでに抑え切れない殺しへの欲望が芽生えていたのかもしれない。
「死刑でいいです」と言い放ったこの男は、他人の命はおろか、自分の命にも最後まで向き合うことができなかった。生まれた時から虐待され、いじめを受け、家庭でも学校でも社会でも人間関係を構築することができず、歪んだ精神状況のまま世に放たれた人間にとって、他人の苦しみや悲しみを理解するということは何よりも難しいことだったのではないだろうか。
死刑確定後に男は弁護人に「生まれて来なければよかった」と呟いたという。死刑確定から2年後、異例の速さで死刑が執行され、男は25年という短い人生に幕を閉じた。人を殺すことにしか希望をもてなかった男の最後の望みは、自らの死だったようだ。
記事内の引用について
池谷孝司著『死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人』 (新潮文庫)
上野正彦著『死体の犯罪心理学』 (アスキー新書)