2人が初めて顔を合わせたのは、87年。先に入所していた中居と草なぎ剛が、光GENJIの2ndシングル『ガラスの十代』のダンスレッスンをしていたとき、その会場にオーディションでやってきたのが、木村、稲垣吾郎、香取だったのだ。木村と稲垣は中学生、香取にいたっては小学生4年生。まだ10歳で、ランドセルを背負っていた。
翌年、スケートボーイズの一員になり、のちに結成されたSMAPに抜てき。そこからは変化の連続で、声変わりをして、増量して、身長は20cm以上も伸びた。少女のように細かった体型はいつしか、広い肩幅、厚い胸板に育成し、メンバー1のマッチョマンになった。ストレスによる暴飲暴食で、デブとダイエットを繰り返し。役作りのためにおよそ15kgもウェイトダウンしたことがあるが、メンタルが強いほうではなかった。
そんな香取に、誰よりも早く目をつけたのが木村。出会ったころの香取は財布を持っておらず、小銭をズボンのポケットにジャラジャラ突っ込んでいたため、木村はハーレーダビッドソンの革財布をプレゼントした。当時は革ジャンほどの厚みがあり、高価なものだった。香取はその後も、ずっと愛用した。A4の用紙ほどの薄さになっても、洋服のお直し屋さんに持って行って、裏にあて布をしてもらい、もう1枚のレザーを貼ってもらって補修。フチの糸が擦り切れても、修理した。ジッパーが壊れると、全部取り外して付け替えてもらった。修理代が、2万円におよんだこともあった。
木村からは、「いい加減にしろ。俺が新しいの買ってやる」と言われたが、10代から30代まで、その財布はつねに香取のそばにいた。ところが…。
今年1月に表面化した解散騒動を機に、30年近く携帯していた財布と決別したというウワサ。それは、袂を分かつという意味か。草なぎとパーソナリティーを務めるラジオ『SMAP POWER SPLASH』(bayfm)でも、その行方を語ることはしていないため、真相は定かではない。
メンバーからもらった、数えきれないほどのプレゼント。思い出がたっぷり詰まったそれらも、過去と一緒に封印されるのか。28年のバッドエンディングはやはり、寂寥感にあふれている。