−−今回の映画を撮ろうと思ったきっかけは?
見沢さんと僕は似たところがあって、双子じゃないかと思ったんです。なぜなら、時代に対する焦燥感、閉塞感のような、抱えている問題が共通しているなと。それはまた、今の若い人たちが抱えている生きづらさと重なってくるのではないかと思うんです。
−−構想はいつから?
前の映画を作っている時からです。ロケ班を含めてスタートしたのは、2007年8月です。最初はふつふつとした思いだったのですが、段々はっきりと意識化していきました。他の構想もあったのですが、先に今回の作品にいってしまいました。今から考えると、それには必然性があったのかもしれません。
−−見沢知廉のイメージは?
生きている時は見沢さんのことをあまり知らなかったんです。逆に周りの友人とかの方が、知っていました。なので、生前の見沢さんを知ってて撮ったというわけではないんです。まったく自分の頭の想念から生まれてきた感じです。
−−あまり意識をしていなかった見沢知廉を映画で撮ろうと思うまでの過程はどのようなものだったのですか?
漠然とした、つくりたいなあという不思議な直感はありましたね。ただ、ふっと思うとまた消えて…、そんな感じがしばらく続きましたね。しかし、徐々にその思いが消えなくなりました。そうして現実的にも「やろうかな」と。そこで、「なぜ、そう思ってしまうのか」を考えるようになり、その時に、「僕と見沢さんはまるでコインの裏表のようだ」と思うようになったんです。作品としも、見沢さんのことをあまり知らなかった分、逆に現実の見沢さんに近づけるのではないかと思いました。
−−今回の作品はフィクションシーンが入り混じる構成になっていますが、この映画はドキュメンタリー作品なのでしょうか? それともフィクション作品?
基本的には中間的な表現だと思います。厳密に区分けすれば、ドキュメンタリーでしょう。登場人物が実名で出ているという点では。ただ、あんまり、ジャンル分けの意識はないです。僕はこういうふうにしか作れないので。これが、映画を通しての僕の全力を挙げた表現という感じです。
−−映画を撮る前と撮った後で、見沢への印象に変化はありましたか?
大きくは変わりませんでした。見沢さんは現実に生きた人だけど、虚構を生きたとも言えます。虚構の中でもがき苦しんでいたと思います。本当のリアルを生きたいともがき苦しんでいたのではと。それが「革命」という意識にまで昇華されていったのでしょう。そういう見沢さんは撮る前も撮った後も変わらないですね。
−−経歴を見させて頂くと「表現の自由」という問題にこだわりがあるように感じられますが。
表現の自由が問題になる社会自体バカたれって感じだよね。何を基準に「自由」を判断するんだ、と思っちゃうね。昔、永井豪の「ハレンチ学園」だってエロだって言われてたんだよ。テレビのワイドショーに彼が出演した時はつるしあげられたんだ。規制を国家や権力が上からやるなんてもってのほかだね。そういう規制をかけようとする人たちって、人間の基本的な生存の問題として、真剣に考えて言っているのか疑問だよね。人間が人間を規制するなんて相当のことですよ。まず、表現は自由であるべき。それが前提です。その上で、批判する人と、創作者と一般の人の議論の場をもっと設けるべきだと思います。
−−最後に、次回作の構想は何かありますか?
ありますね。ただ、今、言うのは差し障りがあります(笑)。ますます、日本のタブーへと分け入っていきそうな予感がしているので。でも、今回の『天皇ごっこ』と相似形を成しているのではないか、という予感はあります。
大浦信行
1949年生まれ。富山県出身。昭和天皇を主題にした版画シリーズ「遠近を抱えて」が日本の検閲とタブーに触れ、社会的な問題となる。劇場公開作品としては「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。」(2001)、「9.11-8.15 日本心中」(2005)などを発表している。
<公開記念トークイベント開催>
10/29(土)13:00の回 鈴木邦男(一水会顧問)
10/30(日)13:00の回 田原総一朗(ジャーナリスト)
11/3(木・祝日)13:00の回 植垣康博(元連合赤軍兵士)
11/5(土)18:00の回 篠田博之(月刊「創」編集長)
11/6(日)18:00の回 福住廉(美術評論家)
11/11(金)18:00の回 雨宮処凛(作家)
11/12(土)13:00の回 高木尋士(劇作家・劇団再生主宰)
詳細は公式ホームページにて
http://www.tenno-gokko.com/