厄介だったのは、最初の稲垣のときである。この01年は、SMAPのCDデビュー10周年を記念して、日本人アーティスト史上初となる5大ドームツアーを決行していた。その火ぶたは7月28日、新潟公演で切られたばかりで、逮捕された翌25日には、愛知・ナゴヤドーム公演の初日が控えていた。
メンバーのまさかの逮捕劇を知らされた残り4人は、24日の深夜、都内ホテルに緊急招集。打ち合わせ終了後、急きょ社用車で愛知に向かった。ライブ当日の25日の早朝、会場に到着。同日18時には、予定どおりしっかり幕が上がり、稲垣担当の歌パートの振り替え、ダンスフォーメーションのチェンジなどを遜色なくこなした。
翌26日、稲垣が都内で釈放後、記者会見。すさまじいカメラのフラッシュを浴びながら、猛省した。いっぽうその頃、残された4人は、愛知公演最終日を成功させた。この怒濤の3日間を死にもの狂いで乗り越えたことで、強い団結力とメンタルを手に入れたSMAP。ここから残された8月31日&9月1日の東京スタジアム(現・味の素スタジアム)公演、9月7日&8日&9日の福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)公演、9月22日&23日の東京ドーム公演、9月29日&30日の北海道・札幌ドーム公演の全11公演を4人で乗りきり、史上最大規模(当時)の75万人を動員した。
同ツアーをまとめたDVD『LIVE pamS』は、珍しい4人体制のSMAP。9月22日の東京ドーム公演の模様を収録した同映像には、吾郎の顔がプリントされたTシャツを着用した4人が映る。時おりTシャツを指し、マイクをあて、観客にその存在をアピール。この友情にヒビが入ることは、永遠にないと思われたが…。
SMAP、やはり、覆水盆に返らずなのか。無念である。