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昭和の文豪・芥川龍之介、繊細と不健康にまみれた生涯

 芥川龍之介といえば、夏目漱石と並ぶ近代日本文学の双璧であり、未だに読者の心をつかんで離さない天才作家である。

 芥川は学生時代に、後に児童文学者として有名になる鈴木三重吉の紹介で、漱石一門に入る。その後「鼻」が夏目漱石に絶賛されると、新進作家として文壇にデビューした。

 大学卒業後は教鞭を執った後に、大阪毎日新聞社に入り創作活動を続けた。芥川龍之介の文章は師である漱石と比較して、非常に平易で分かり易い文章である点が、師匠とは異なる。

 芥川龍之介の逸話としては、当時電車で相乗りしていた他人の子供に、お化けと怖がられたという話が知られている。その余りに繊細な神経を持った芥川は、骨に皮がついているように非常に痩せていたという。芥川龍之介は、常に脳疲労と神経衰弱を患っていたといわれている。

 彼は自分の持病である目の異常に関して、小説『歯車』という作品を書き上げている。視界の中に、突然半透明な歯車状の物体が視野の下から現れる。やがて、歯車が視界をふさぐのである。その直後、強烈な頭痛が襲うのだという。芥川龍之介の時代には、その病気は原因不明の奇病といわれていたが、最近では閃輝暗点という、ストレスが原因でなる病気だといわれている。筆者も同じ経験をした覚えが何度もあるが、その頭痛は尋常ではない痛さである。 

 晩年には姉の夫が鉄道自殺を遂げ、芥川龍之介の家に残された姉一家が同居するようになった。彼の細腕で一家八人を養う必要が生じた。その後はさらに、姉の自殺した旦那の遺族の面倒も見た。その上、姉の夫の残した莫大な借金の返済も行わねばならなかった。

 彼は連日作品を書き上げるも、昭和2年7月24日「将来に対するぼんやりとした不安」という言葉を残して服毒自殺を遂げる。享年35歳だった。

 芥川龍之介の命日は小説『河童』から取った河童忌と称されており、熱心なファンが命日になると慈眼寺へ墓参りに訪れている。

(藤原真)

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