今回の「女の事件簿」は、「日本ではじめて銀行強盗を実行した女」の逸話をご紹介しよう。1979年(昭和54年)4月19日の午後2時45分ごろ、栃木県小山市の茨城相互銀行(現:筑波銀行)の支店に一人の女が入店してきた。
この女は、見た目は20代前半で、ジーパンにサンダル履き、水色のカーディガンを肩から羽織り、髪は染料で真っ赤に染め上げていた。
「……派手な女だなぁ」
店の支店長が女を見て不審に思ったその時、店内に「キャー!!」という悲鳴が響いた。なんと先ほどの女が別の女性客の首元に刃渡り8cmを突き付け、「金を出せ!」叫び出したのだ。
「あっ!あの女は銀行強盗だったのか!」
支店長は驚き、強盗女を落ち着かせるべく前に乗り出した。強盗女は「こいつがどうなってもいいのか!」とナイフを突き付けたが、囚われていた女性客は一瞬のスキをついて脱出。人質がいなくなった強盗女に対し、今度は銀行の男性従業員が強盗女を捕まえるべく飛び掛かった。
「くそ!」
強盗女は逃げ出そうとし、外に止めてあった車へ乗り込み立ち去ろうとしたが、従業員から後ろからタックルされて御用となり、奇跡的に怪我人ゼロで解決となった。
今回捕まった強盗女であるが、警視庁によると、資料の残っている1940年以降において「女性単独犯で金融機関を狙った強盗」は日本の犯罪史上はじめてのケースであり、当時の新聞でも「女強盗現る!」の見出しで、この事件をセンセーショナルに取り上げている。
さて、犯人の女が銀行強盗に至った経緯であるが、当時の新聞によると、同棲していた恋人の借金を清算させるためだったという。
彼女は栃木県内で恋人男性と同棲生活を行っていたが、お互いに無職であったため生活は困窮。さらに、2人はお互い20代と若く、社会の厳しさを知らなかったことや、彼氏が数か月前に交通事故を起こし、100万円の補償金を迫られているなど、車検代や生活費にも困っていた。
「もう愛だけでは生きて行けない…」そんな事をふと思った矢先、付けっ放しにしていたテレビから、ドラマの銀行強盗のシーンが流れた。
「この程度なら私にも出来るかもしれない」
女は台所にあったナイフを手にし、銀行へと向かった……という訳だ。
日本ではじめての女性による銀号強盗は、愛する男性のため、そして自分の生活を守るために行われた窮余の一策だったのだ。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)