そもそもSMAPは、中居正広と草なぎ剛が先にジャニーズ事務所に入所しており、遅れてオーディションを突破した木村拓哉、稲垣吾郎、香取慎吾、森且行(脱退)が加わる形で誕生した。その87年にジャニーズJr.になり、のちに、正式メンバーが試験や受験、修学旅行などの学業によってつねに変動する「スケートボーイズ」となった。同ユニットは流動的な寄せ集めだったため、TOKIO・国分太一、V6・坂本昌行、さらには大物俳優の反町隆史も、1度はメンバー入りをはたしている。
翌88年、SMAPに改名。およそ3年後に6人で『Can't Stop!! -LOVING-』でデビューに至るが、その過程で木村と草なぎは、他事務所からデビューするプランも挙がったという。
そのグループとは、CHA-CHA。SMAP結成イヤーにコントアイドルとして華々しくデビューした5人組で、萩本欽一の番組『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)から誕生した。歌って、踊って、演じて、笑いまで取るイケメン集団で、昭和の江戸演芸をけん引してきた欽ちゃんの初プロデュース男性アイドルグループとして注目された。前身は、「茶々隊」。すでに経験値があったため、ブレイク必至と誰もが信じて疑わなかった。
この初期メンバーオーディションに、SMAP6人はジャニー喜多川社長の命令で受験させられたのだ。そして、木村と草なぎが見事に合格した。ところが、笑いにどん欲で、練習がハードで、理不尽なレッスンの積み重ねに弱音を吐き、木村は脱走。根が真面目で、体操経験を生かしたアクロバティックな動きで頭角を現しつつあった草なぎは、CHA-CHAとしての歌手デビュー直前まで漕ぎつけた。
そんなビッグチャンスに待ったをかけたのが、欽ちゃん本人。「損するからCHA-CHAに入らなくていい」と、草なぎに非情な宣告をしたのだ。草なぎは、正式デビューを間近に控えたギリギリのところで、欽ちゃん預かりの浅井企画からジャニーさんの元サヤに収まったというわけだ。
ちなみに、元CHA-CHAで今なおテレビタレントとして生き残っているのは、勝俣州和だけ。ほとんどが表舞台から退いているが、西尾拓美は元アイドルの西村知美と結婚し、夫婦そろってテレビ出演することもしばしば。現在は、東京・広尾の韓国料理店で店長を務めている。
もしもあのとき、木村が脱走せず、草なぎデビューを欽ちゃんが承認していたら、SMAPという前代未聞のモンスターアイドルは生まれなかった。欽ちゃんは先見の明があったといえよう。