この番組から多くのアイドル歌手が羽ばたいていったのだが、ちょっと変わったアイドル歌手も誕生しているのだ。82年に合格を果たし、83年7月に『デリケートに好きして』でレコードデビュー。いきなり脚光を浴びた太田貴子である。
同期には伊藤麻衣子・岩井小百合・大沢逸美・松本明子・森尾由美などがいるが、太田のデビュー曲『デリケートに好きして』は、人気アニメ『魔法の天使クリィミーマミ』(日本テレビ系)の主題歌に起用され、しかも主演声優まで務めることになったのである。
デビューから声優の活動をしていたことで、アイドル歌手というイメージもあまり無く、同期のメンバーと一緒に歌番組に出演することも少なかったので、当時の太田は声優だというイメージを持っていた人が多かったのではないかと思う。
太田の歌声は甘ったるい感じのカワイイ声で、アニメの吹き替え時もさらに甘いカワイイ声だったこともあり、一気にその声に注目が集まった。そして『魔法の天使クリィミーマミ』は爆発的なヒットアニメとなった。
今では主演声優が主題歌を歌うことは珍しいことでは無いが、当時はそんなことは無かった時代だったので、このパターンの先駈けとなったのが太田だったのではないかと思う。
私も声を聞いてから気になる存在になった。そしてどうやったら会えるのだろう? と考えてみたが、考えられることはアニメの収録スタジオでの出入り待ちくらいしか無いと思い、太田と会うことは半ば諦めていた。
しかしそんな私に朗報が入った。当時の人気歌番組『レッツゴーヤング』(NHK)に太田がレギュラーとして出演することが決まったのだ。
『レッツゴーヤング』といえば、NHKホールで公開収録を行っている番組であり、この番組の収録は私の現場のひとつでもあった。はたして遂に生の太田を見る機会が訪れることになるのである。
太田がレギュラーとして初めて出演する日には、収録終わりに出待ちをすることにした。出待ちといってもその場所は、多くの人気アイドルが通る場所なので、待っているファンもかなりたくさんいて大変な場所となっていた。しかし、太田が目当てというのは私だけだったこともあり、太田が会場から出てくるタイミングには、人が波が引くようにいなくなっていた。そして私と太田が1対1で対面するという状況になってしまった。初対面でそんな状況になってしまったことで、さすがに恥ずかしすぎてほとんど話しなんてできなかった。
その後も何度か出待ちを繰り返して、ついには話しができるようになったのだが、上手くは話せないまま太田のレギュラーは終ってしまった。
番組を卒業した頃からアイドルや声優の活動は減少してしまい、活動の中心はライブハウスになり、楽曲はロックテイストに変わっていった。そして90年代前半頃には芸能活動から引退してしまった。
引退してからは太田のことは過去の良い思い出となっていたのだが、月日が経ち、2009年10月に彼女と再会できる日が来るのである。
その日は『吉祥寺アニメワンダーランド』というイベントが、井の頭公園で開催され、そのイベントのゲストに太田が出演することに。
イベントには声優の神谷明、アニソン歌手の山本正之が登場。そして我らが太田貴子はステージで何と7曲も披露してくれた。しかも『魔法の天使クリィミーマミ』の劇中で唱える呪文「パンプルピンプルパムポップン、ピンプルパンプルパムポップン!」まで唱えてくれて、当時を知る人間にとっては涙モノ。
約23年ぶりの再会で、太田は体型が少しふっくらしたところもあったが、それ以外は当時と何も変わらない。もちろん私が大好きだった甘い声も、そのまんまだった。
現在は歌手活動をしてライブも頻繁に開催している。なので、たまに私も太田の歌声を聞きに行くこともある。太田貴子の甘い声は、いつまで経っても私にとって憧れの声なのだ。おそらく今後も太田の声を聞きにライブに出向くことは間違い無いだろう。
【ブレーメン大島】
小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。