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「餓死寸前なう」なうを使えば、余裕を見せつけることが可能?

 「なう」

 ご存知の通り、ツイッターでよくつかわれる言葉だ。つぶやきの語尾につけ、今なにをしているかを伝えるためのツイッター語だ。「NOW」だと3文字だが「なう」なら2文字。140文字という制約の中ではできるだけ少ない文字数でつぶやきたい、と言う気持ちが「なう」を生みだしたのだろうか。

 それはさておき、ネット上で、単語の最後に「なう」を付けるとどんな状況でも余裕に感じると話題になっている。

 伝えているのは、ブログ記事、「単語の最後に「なう」を付けるとどんな状況でも余裕に感じる ぶる速-VIP」(http://b.hatena.ne.jp/entry/burusoku-vip.com/archives/1349970.html)。ビビってしまうことに「なう」をつけてその威力を試している。たしかに余裕に感じるのです。ちょっと引用してみます。

◆「彼女の浮気が発覚して問い詰めてみたら4股されれたなう」
 されれた、のあたりに余裕のなさを感じました。揚げ足取りですみません。

◆「小沢と対談なう」
 民主党党首選後の「みなさん仲良くしてください」発言には心底怖いものがありました。でもすんごくいい人なんじゃないかとも思いました。

◆「かあちゃんが家出てったなう」
 家出てやったなう、と言うツイートもあったりして。

◆「餓死寸前なう」
 餓死寸前nの方、が切迫感ありますね。まさに死ぬ寸前と言う感じが。

◆「ゴルゴの後ろなう」
 必ず死ぬんですね。でもつぶやいてる時間があるだけなんだかすごい。

◆「本能寺で囲まれたなう」
 信長ですね。「出会え出会えーなう」とかもいいですね。

◆「紙がないなう」
 実際にありましたよね。以前、こんな感じでつぶやいた人の元に、わざわざトイレットペーパーを持っていってあげた人がいましたっけ。なつかしい。

 ツイッター上で余裕を見せつける必要があるのかどうか知らないが、先日ある人に、貴方が死にそうな時にネットが助けてくれるのか、と言われたことがありました。たしかに
 「死にそうなう」
 とつぶやいても誰も助けにきてくれそうにありませんね。

 関係ないですが、ついでに。個人的には、ツイッターが不具合を生じた場合などに、表示されるあれも、
 「おやっ、何かがおかしいです。しばらく経ってから、ご利用くださいなう」

 といって欲しい。ただでさえ「なう」がない今でも、もやっとしてるわけですが。(めがねおう)

【参照】非モテタイムズ
http://himo2.jp/

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