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芸能界事件簿 シュガー(2)

 コミカルな曲ばかり歌っていた彼女たちの大きな転機となったのが、84年に発表された「カメレオン」という曲だった。

 「この曲は、これまでの曲と違いNHKの『みんなのうた』のために制作されたものでした。当然内容的にも子ども向けの曲だったのです。しかも、すでにシュガーの存在を忘れかけていたお母さん世代の間で口コミ的に広がり、大ヒットにこそならないもののこれまであまり機会がなかった子ども向けのコンサートなどの仕事も増えていくようになっていったのです」(音楽関係者)
 そこで、リーダーのモーリは、童謡などの子ども向けの曲を歌いたいと思うようになっていった。ところがほかの2人のメンバーは、もともとフォークやニューミュージックにあこがれて音楽の世界に飛び込んだだけに、徐々に3人の間の溝は深まっていったという。
 「最終的に、ボーカルのクミはラジオなどでお世話になっていた森田公一の元で、『トップギャラン』のボーカルとして一時活躍したもののそのままフェードアウトしてしまい、キーボードを担当していたミキはそのまま芸能界を引退してしまいました」(音楽プロモーター)

 そしてグループは86年に解散。メンバーのうち、モーリだけが芸能界に残りリポーターなどで活躍していた。
 ラジオ局関係者が話す。
 「モーリは、シュガー解散後はトークのうまさを見込まれ、ラジオのリポーターなどを中心に活動していました。ロケで全国を飛び回ってもいたのです。しかし、その一方で彼女自身はゆくゆくは子ども向けの曲を歌いたいという希望もあって、芸能界に残って活動していました」
 プライベートでも結婚し、90年4月16日に出産を控え、ギリギリまで仕事に奔走するほど元気に活動していた。ところが…。
 「出産直前の4月6日に体調の異変を訴え、病院に担ぎ込まれたものの胎児は死亡していました。妊娠中毒症で、すぐに日本医科大病院の救命救急センターに運ばれた毛利さんも、そのまま息を引き取ったのです。まさに幸せの絶頂期での不幸でした」(芸能ライター)
 モーリの突然の訃報に、すぐに一部のファンの間では、「『ウエディング・ベル』の歌詞のたたりでは…」との声も上がったほど。多くのファンにとっても衝撃的な死だった。享年29歳だった。(おわり)

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