被告側は即日控訴しているので死刑が確定しているわけではないが、過去に、妻子を3人殺して無期懲役で済んだ例がある。1994年11月3日に発生した「つくば母子殺人事件」だ。
その日、横浜市鶴見区の京浜運河からビニール袋に入れられ重しがつけられた女性の遺体が発見され、続いて2人の幼児の遺体が発見された。その後、遺体の身元は茨城県つくば市に住む31歳の女性と、その長女(当時2歳)、長男(当時1歳)と確認され、この3人については、夫であり父親である総合病院のN医師(当時29歳)から捜索願が出されていた。しかし、11月25日、N医師は殺人及び死体遺棄罪で逮捕される。
求刑は死刑だったが、96年2月22日、横浜地裁は「犯行は計画的なものではなく衝動的だった」としてN医師に無期懲役判決を下す。大学時代の友人は「温厚で明るい好青年だった」、病院の上司や患者は「熱心で親切な先生だった」と証言し、後の裁判では3000を越える減刑嘆願書が届けられていた。
控訴をしたが、97年1月30日、東京高裁は控訴棄却。N医師は上告したが、その後に取り下げて無期懲役が確定した。
N医師は地元では評判の秀才で、1浪して筑波大医学部に入学。卒業後は研修医となり筑波大付属病院などで働いていた。年収は1300万円もあったが、いつも借金の利子返済に追われていた。理由は複数の愛人がおり、女性にだらしないだけでなく、投資用に大阪、神戸などに3つのマンションを購入していたからだ。
殺害された妻は苦しい家計を助けるため、昼は微生物研究所の事務員をし、夜はランジェリーパブでバイトをしていた。
さて、2つの事件は心証的には「つくば」の事件の方が悪質に思える。2人を分けているものは何なのだろうか。