日本で最も有名な武将・織田信長。父親の葬儀の際には、いつもの奇妙な格好で現れて、焼香で抹香を投げつけたなど、彼の逸話は数えきれないほどある。その中でも特に有名な“三段撃ちで武田の騎馬隊を破った”という逸話は残念ながら創作だったようだ。
三段撃ちとは、前、真ん中、後ろと三列に並んだ3000人の鉄砲隊が、順々に撃っていくという戦法。だが、信長の家臣だった太田牛一が記した、史料として信頼性の高い『信長公記』にもその記述はない。加えて、3000人の鉄砲隊のはずが、実際にあった鉄砲の数は1000丁と残されている。さらに、当時使用されていた火縄銃の性質からしてもトラブルが多く、一定の間隔で打ち続けることは不可能だったという。
教科書にも出てくる織田信長の“三段撃ち”だが、その知識がすべて真であるとはいえないようだ。