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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「藤田和之」プロレス冬の時代に気を吐いた“野獣”

“猪木イズム最後の闘魂継承者”のキャッチフレーズで総合格闘技に進出。プロレスでもIWGP王座を3度獲得した藤田和之。
 アマレス仕込みの技術や持ち前の体力は周囲の誰もが認めるところで、トップクラスの名選手には違いないのだが…。
※ ※ ※
 時代が21世紀へと移る2000年を前後して、日本のプロレス界は二つの激震に見舞われた。

 一つは総合格闘技の本格的な市場参入で、髙田延彦(’97、’98年)や船木誠勝(’00年)がヒクソン・グレイシーに敗れたことにより、それまでの“UWF=強さの象徴”“プロレスは最強の格闘技”という信仰が崩れていった。

 そして、もう一つの衝撃がミスター高橋の『流血の魔術 最強の演技』(’01年刊)である。新日本プロレスでメインレフェリーまで務めた内部の人間が、プロレスにおける演出手法を赤裸々に暴露し、「ショーである」と明言したことで、業界全体が大きな痛手を被ることになった。
「この二つが同時期に重なったことにより、プロレスはインチキで総合格闘技こそ本物というパラダイムシフトが起きて、PRIDEやK−1などへファンは移っていきました」(プロレスライター)

 いわゆる“プロレス冬の時代”の到来である。

 そんな中で、旧来のプロレスファンの心のよりどころとなったのが、’00年5月に東京ドームでホイス・グレイシーを破った桜庭和志であった。
「PRIDEの会場にプロレスファンが目立ち始めてはいましたが、この勝利によって一気にブームが過熱しました」(同)

 そして、桜庭が歴史的大勝利を上げた同じリングで、これに引けを取らない快挙を成し遂げたのが藤田和之である。

 総合格闘技進出から2戦目となる藤田の対戦相手は、当時“霊長類最強”といわれたマーク・ケアー(総合格闘技12戦無敗、無効試合1)。1年前には髙田延彦を一蹴していた。そんなケアーを相手に、藤田は終始攻勢をもって3R判定勝ちを収めたのだ。

 桜庭の勝利があまりにも劇的であり、また、ケアーがこの試合の前後からステロイド剤の使用過多によりコンディションを崩していたこと、藤田自身もケアー戦での負傷により次戦で敗退したことで、ファンからの印象はやや薄れた感もあったが、関係者に与えたインパクトは絶大だった。

 藤田がいたからこそ、K−1は総合格闘技路線を始めたとの声も聞かれる。
「当時、桜庭の所属していた髙田道場はPRIDEとべったり。その点、猪木事務所所属だった藤田なら、猪木さえ口説けばなんとでもなる。総合格闘技の日本人スターとして、藤田に白羽の矢を立てたというわけです」(スポーツ紙記者)

 つまり、もし藤田の存在がなければ、’01年の猪木祭りから’03年以降の『K−1 Dynamite!!』へと続く大みそかの格闘技戦はなかったかもしれなかったのだ。

★頭ひとつ抜けた驚異の格闘能力
 しかしながら、そうした中で主役となるべき藤田は連続して不運に見舞われる。

 最初は’01年8月に行われたミルコ・クロコップ戦。
「当時の総合においてはレスリングや柔術のグラウンド技術こそが重要と見なされていて、総合初挑戦のキックボクサーであるミルコは単なる当て馬と見なされていた。K−1においても同年のGPでは1回戦敗退の中堅にすぎず、まさかミルコが勝つなどとはK−1側からして思ってもいませんでした」(同)

 だが、藤田を“看板”にしてK−1の総合路線をスタートさせようとの思惑は、あっさりと崩れ去る。
「どこか相手を舐めていたところはあったのでしょう。藤田が単調なタックルを繰り返すうちに、タイミングが合ってしまった」(同)

 終始優勢でいながらミルコの膝一撃で額を割かれた藤田は、TKO負けを宣せられる。

 さらに、同年の大みそか猪木祭りの直前には、練習でアキレス腱を断絶。大みそかと翌年1・4東京ドームのメインの座を棒に振ってしまう。

 ’03年には当時、絶頂期にあったエメリヤーエンコ・ヒョードルに敗戦。ただし、この試合ではパンチでぐらつかせる見せ場をつくっている。そんな日本人選手は藤田以外にはおらず、格闘能力の高さで頭ひとつ抜けていたことは間違いない。

 48歳となった今もなお総合格闘技のリングに上り、’18年度は2戦2勝の成績を残している。
「しかし、総合では絶対的な主役にはなれず、プロレスにおいてもそれは同様。IWGP王座3度戴冠は周囲の期待もあってのことでしょうが、プロレス的な振る舞いは若手時代から上達することなく、トップに定着できなかった」(同)

 単に強いだけではスターになれないのは、プロレスも総合格闘技も同じで、これこそが興行スポーツの奥深さとも言えるだろう。

藤田和之
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PROFILE●1970年10月16日生まれ。千葉県船橋市出身。身長182㎝、体重120㎏。
得意技/肩固め、サッカーボールキック。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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