天保6(1835)年7月、迷い猫が作衛門の庭に入り込んだ。ちゑによく懐くので、猫を飼うことにした。その日から鶏は朝鳴かなくなってしまった。そのかわり、毎日決まって酉の刻になると、けたたましく鳴くようになった。「宵鳴き鶏なんかいらぬ」と、腹を立てた作衛門は鶏を菰に包んで、江川に捨てた。
その頃、小川伝蔵が江川で網漁をしている時に菰の包を拾った。包を開けると鶏が入っていたので、家で飼うことにした。その夜、伝蔵の夢の中に鶏が現れた。「今日は助けていただき有難うございました。私は近藤家で飼われていた鶏です。最近、飼われた猫が主人の命を狙っており、それを知らせようと宵鳴きしましたが、逆に疎まれ捨てられました。貴方様から伝て下さい」と告げた。
伝蔵はそのまま夢のことを作衛門に告げた。それから作衛門は注意深く猫を観察した。猫は作衛門の膝の上を狂ったようにじゃれると、藪の中に入っていく。同じようなことを何度も繰り返すのだ。作衛門はちゑに藪の様子を探らせた。藪の中には雨水が溜まった中に食い裂かれた毒の袋が入っていた。毒水を作衛門に振り掛けていたのだ。作衛門はその場で猫を切り捨てた。
その後、主人の危機を救った鶏は八幡宮で大切に飼われることになり、多くの人々から敬われたという。
(写真:「泥江懸神社」愛知県名古屋市中区錦)
(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou