また、大宮八幡宮の創建も古く、『大宮八幡宮縁起』によると平安時代までさかのぼる。源頼朝の5代前・源頼義が「前九年の役」で奥州へ出陣する際、善福寺川のほとりで源氏の白旗のような雲を見かけた。八幡大神の霊威を感じた頼義が大宮八幡宮を勧請した。
「大宮」という名前は古くから広大な境内をもつ社だったことに由来する。「江戸八個所八幡」の一つに数えられた。現在も、大宮八幡宮には多くのご神木、樹木、草花がある。
【男銀杏・女銀杏】
大宮八幡宮境内で一番に目につくのが、神門の両袖にあるご神木。右が「男銀杏」、左が「女銀杏」。「男銀杏」は区内屈指の巨木で、「女銀杏」は秋に色づき、実をつける。社務所で尋ねると、樹齢は定かではないが、400年前の絵にはすでに描かれているという。
【菩提樹】
社殿脇には老木がある。この木には、いわれがある。徳川家康次男・結城秀康(松平秀康・羽柴秀康)は、徳川の上杉景勝征伐に参加していたが、石田三成が兵を挙げると、家康が本隊を、三男秀忠が別働隊を率いてそれぞれ西へ向かった。関東の守りと上杉牽制を託された秀康は、関ヶ原の戦いには参加できなかった。しかし、戦後の論功行賞で越前北庄67万石に封ぜられた。その際、秀康は清涼院を側室に迎えたという。菩提樹は、大宮八幡宮を厚く崇敬していた清涼院の手植えと伝えられている。樹齢は推定350年以上。
【源義家植樹の松・鞍掛の松】
源頼義の子・義家は「八幡太郎」の名で知られる。その源義家が「後三年の役」で奥州から戻る際、大宮八幡宮に参拝し、神域に千本の若松を植樹したと伝えられている。現在では、それらの松は枯損してしまい、遺株に植えられた松に昔を偲ぶばかりとなっている。また、大宮八幡宮参道入り口に、「鞍掛の松」がある。松自体は代替わりしているが、義家が松の枝に馬の鞍を掛けた伝承が残っている。(竹内みちまろ)