SMAPや光GENJIが出演していたテレビ朝日系列のバラエティ『アイドル共和国』から誕生したもので、メンバーはのちのTOKIO・国分太一、松岡昌宏、長瀬智也、V6・坂本昌行、井ノ原快彦ほか、退所したジャニーズJr.だ。
このユニット解体のおよそ4年後、坂本とV6・長野博による“サカモト&ナガノーズ”が生まれているが、この2人にはある共通点がある。1度、ジャニーズ事務所を退所しているのだ。
長野は、元光GENJI・佐藤アツヒロ、TOKIO・城島茂と同期の86年入所組。昨年、入所30周年だった超古株だ。入所したわずか8か月後に、少年隊のバックダンサーとして日本武道館に立ち、2年後の88年、15〜16歳のころには、伝説の学園ドラマ『3年B組金八先生 第3シリーズ』に出演している。ちなみに同シリーズの生徒役には、元SMAPの森且行、俳優の浅野忠信もいた。
ところが、番組終業後に仕事と歌番組が減少。18歳のころには、毎週あったダンスレッスンがなくなり、スタッフと定期的に顔を合わせることがなくなった。するとそのまま、フェードアウト。簡単にいえば、干された。
そこで、高校卒業後、情報処理の専門学校に入学して、ファミリーレストランや居酒屋などでアルバイト。生活費を捻出するために、パチプロもどきの毎日を送る時期もあった。
そんなある日、懐かしいスタッフから突然電話がかかってきて、「このあとジャニー(喜多川社長)さんから連絡があるから待ってて」と言われ、直後、ジャニーさんから、「YOU、今何してんの? 来週レッスンあるから、来ちゃいなよ」と言われた。
言われるがままにレッスンに参加。終了後、「ブランクあっても、けっこう踊れてたから、少年隊のバックに出ちゃいなよ」と言われ、そのまま少年隊のコンサートツアーに帯同することになった。止まっていた時計の針が再び動きはじめ、やがて、23歳の遅咲きでV6になった。
そんな長野の1歳年上である坂本は、24歳でデビューできた格好になる。彼の場合は、長野と同じく干された時期、旅行代理店でアルバイトをはじめ、二十歳を境に社員になっている。2足のワラジをはいたジャニーズでも、就職までしたのは、かなりレアケースだ。
当時大流行だったねるとんパーティーをバスツアーにブッキングするなどして、ツアー参加者のアテンドをしていた坂本。客から「平家派(光GENJIのバックダンサー)の方ですよね?」と言われたこともある。テレビをつけると、先輩、後輩がスポットライトを浴びており、自分は何をやりたいのか、自問自答の日々だった。
ある日、電車でKinKi Kidsに会った。千葉の仕事帰りだった2人から、「坂本くんは今何やってるの?」と聞かれて、答えられなかった。今の仕事を誇れなかったのだ。そこで、ジャニーズに戻ることを決意。国分に、「どうしても戻りたいから、ジャニーさんに口を聞いてくれないか?」とお願いして、翌日、ジャニーさんと電話で話した。
しかし、仕事はすぐに回ってこなかった。そんな苦境を救ってくれたのが、少年隊として多忙だった東山紀之。付き人として雇用してくれ、送り迎えや身の回りの世話を、およそ1年間務めた。当時、東山は27歳。給与はジャニーズではなく、東山のポケットマネーだったことを人づてで知ったのは、ずいぶん経ってからだった。
今年で結成22年のV6。メンバー6人のうち2人にアイドル離職経験があるのは前代未聞かもしれない。