忍者は光GENJIと男闘呼組のブレークを受けて90年8月にシングル「お祭り忍者」でCDデビューした。
正木によると、ジャニーズ事務所に入所したのは12歳の時で、それから6年間はジャニーズJr.として活動。バックダンサー時代のギャラは1ステージ1万円ほどだったそうで、月収にすると20万円程度だったという。
ところが、忍者としてデビューすると収入は一気に跳ね上がり、「ほかのグループとかは知らないですけど、Jr.の時に比べたら何千倍かなんかにはなった」と明かした。
また、恋愛については事務所からは禁止されておらず。交際はしていなかったものの、番組で共演した有名アイドルと2人きりで食事することなどはあったというが、そのアイドルの実名は明かさなかった。
「当時の忍者の売れ方からすると、年収は3000万円は下らなかったのでは。というのも、最後に芸能人の納税額が公示された04年の資料でジャニーズのタレント一覧を見渡すと、所属タレントの中で一番年収が上だったのが当時SMAPだった中居正広で推定5億円ほど。当時はそれほど稼げていなかったV6の井ノ原快彦でも3000万円ほどは稼いでいた」(ベテラン芸能記者)
ちなみに、04年の事務所幹部の推定年収は、ジャニー喜多川社長と藤島メリー泰子副社長が約9億円、次期社長の藤島ジュリー景子副社長が6.5億円とまさに“ボロ儲け”の状態。
忍者の時代から儲かっていた事務所の幹部たちがいくらぐらい貯め込んでいるのかが気になるところだ。