恐らく日本最古のカルト宗教と言えば、日本書紀に紹介されている「常世神」の事例であろう。
それによると、皇極天皇の時代(644年頃)、東国の富士川の近隣に住む大生部多(おおふべのおほ)が村人に「これは常世神である」といって虫を祀ることを勧めたという。曰く、この神を祀れば貧しい人は富を得、老人も若返ると触れ回り、信者には財産を全て寄進させ、そこから得た酒や食べ物などを並べて「新しい富よ来たれ」と祈らせたという。
信者の人々は「常世神」こと「常世の虫」を祭壇に置き、歌い踊って福を求め、また寄進すればするほど富が来ると言うことだったので、財産を全て寄進して貧しくなる人々が増えすぎてしまった。
ここきて山城国の豪族である秦河勝は、これ以上民が惑い、混乱してはならないと大生部多を討伐したという。
これで当時の新興宗教である常世虫の騒動は一件落着したとのことだ。
さて、人々が神と崇めていた「常世の虫」はどのようなものだったのだろうか。日本書紀の記述では、「橘や山椒の木に生る。長さ四寸余り(12センチ程度)、親指ぐらいの大きさ」「緑で黒点があり、姿は蚕に似る」との事だったので、現在のアゲハチョウの幼虫だったのではないかと見られている。
アゲハチョウの幼虫が常食する橘の木は常緑樹であり、神話や伝説に登場する不老不死の薬となる植物「時じくの香(かぐ)の木の実」と同一視されることがあった。そこで、橘の木に発生し、その葉を食べる虫が「常世の虫」として使われたのではないかと見られている。
文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所