岩井三郎と言えば、明治28(1895)年に日本で初めての内偵調査会社「岩井三郎事務所」を東京・日本橋に創立した人だ。大正初めに起きた「シーメンス事件」の調査により、その名が世間に知れわたった。後に日本屈指の推理小説作家となる江戸川乱歩も彼に弟子入りしたことがある。
徳次もその名前は新聞で知っていたが、そんな有名な探偵が自分のところになぜ来たのか、全く心当たりがない。「どういったご用向きで」と尋ねる徳次に、岩井は実はあなたに会わせたい人がいると言う。今すぐ先方の名は言えないが、また来ますと帰って行った。
3日ほどして再び岩井がやって来た。実は徳次にもう一人姉がいて、その姉が徳次に会いたがっているという話だった。
岩井に依頼したのは江木欣々という女性で、彼女は母・花が関家で産んだ長女だった。徳次たちにとっての異父姉だ。
江木欣々は幼名を栄子と言い、花が離縁されて藤谷家に戻った後、関家から里子に出された。里子に出された先からさらに東京・本所に養女にやられ、そこで育った。年ごろになった栄子は築地の料理屋で働き始め、料理屋の近くに下宿していた東大の書生・江木と出会う。ところが栄子は、江木の前から姿を消してしまう。その後、柳橋に半玉(見習い中の芸者さん)として出ていた栄子と江木は運命的な再会を果たし、結婚する。
栄子と江木は結婚したが、江木は法律学者で、いわば上流社会の人だ。栄子にも社交界に必要な教養をすべて習わせた。栄子は聡明で、あらゆる教養を身につけるための努力も惜しまなかった。家庭人としての教養はもちろん、学は和漢洋から宗教にも及んだ。さらに趣味として書画、篆刻(てんこく)に親しみ、雅号を欣々とした。そして栄子は美ぼうと教養で知られる社交界の花形、江木欣々となったのだ。