ノモンハン事件は1939年に起きた日本とソ連による宣戦布告なき戦争で、日本軍は大打撃を受けた。日本陸軍の精神力重視の白兵突撃がソ連の戦車部隊に完敗した戦争として知られている。太平洋戦争の無条件降伏に至る日本軍の無謀な戦争の原点とも見られている。その典型は司馬遼太郎で、「ソ連の戦車集団と、分隊教練だけがやたらとうまい日本の旧式歩兵との鉄と肉の戦い」と評している(『司馬遼太郎が考えたこと2』)。
「ノモンハンの隠蔽」でも関東軍参謀本部の無策や横暴、見通しの甘さ、精神主義の押しつけが描かれている。敗戦の責任を負うべき参謀が敗戦の原因を隠蔽し、戦後は電鉄会社の経営者になるなど指導者層の醜さも描く。
一方でバンザイ突撃を強行して犠牲者を出すばかりであったという無謀で愚かな日本軍という視点とも一味異なる。日本軍も戦車の有効性を理解し、戦車部隊を繰り出すが、ソ連軍の方が一枚上手であったとの位置づけである。また、ソ連軍の被害の大きさを示す資料も引用している。
この「ノモンハンの隠蔽」はノモンハン事件の従軍兵士の息子が戦場に隠された「遺品」を取りに行く話である。病床の元兵士と異なり、息子本人には目的意識が明確ではない。ゴルゴ13も脇役的な役回りで、物語中の主人公的存在とは直接関わらない。ノモンハン事件の真相に到達しながらも、それによって巨悪を弾劾せずに終わっており、フラストレーションの残る終わり方である。
これに対して次の「海の鉱山」はゴルゴ13が自らのルールを貫徹するストーリーである。ゴルゴ13はスペインのバスク地方でテロ組織の幹部の暗殺依頼を遂行する。しかし、テロ組織の幹部と説明された人物は、鉱山用タイヤメーカーの工場長であった。不審を抱いたゴルゴ13は依頼の真相を調査する。ゴルゴ13のプロフェッショナルの誇りと執念深さが示された。
最後の「鶏は血を流す」は傭兵志望の少年の目からゴルゴ13を描く。ゴルゴ13が物語の主人公的存在に絡まない話に、ゴルゴ13が主役の話、第三者の目から見たゴルゴ13の話とバランスのとれた内容になっている。
(林田力)