ワラタ号はその中でも最新鋭で、かつ高性能の蒸気機関によって航海速力13ノットを発揮し、排水量も最大級の9333トンに達するなど、非常に優秀な商船だった。そして、その大きさと航行能力から、非常に高い安全性を誇っていたのである。ところが、ワラタ号はダーバン沖で貨物船クラン・マッキンタイア号と交わした発光信号を最後に、忽然と消息を絶ったのである。
だが、当時の商船にはまだ無線機が普及しておらず、ワラタ号も船舶無線を装備していなかった。そのため、ワラタ号が消息を絶ったとみなされたのは、ケープタウンへの到着予定日だった7月27日から4日目の8月1日になってからだった。折しも、当時の南アフリカ沖では悪天候が続いており、予定日から数日程度の遅れは想定範囲内だったのだ。
ところが、ワラタ号が追い抜いたクラン・マッキンタイア号も30日にはケープタウンへ入港し、なおかつ途中でも再遭遇しなかったことなどが明らかになったことから遭難の可能性が高まり、ついにはイギリス海軍の艦艇も動員して大規模な捜索活動が始まった。
だが、当時はまだ航空機が生まれたばかりで、限られた数の艦船が広大な海域からワラタ号を見つけ出すのは、非常に困難であった。そして捜索開始から数か月たってもなお、ワロタ号はおろか、残骸や漂流物すら発見されなかった。また、海岸でも広範囲に捜索が行われたものの、ワラタ号の救命ボートや乗船者の遺体などといった漂着物も発見されなかった。
南アフリカの沖合で、ワラタ号は忽然と姿を消したのである。
(続く)