生存者たちはボートに食料やテントなどを乗せ、氷の上をそりのように引きずってカナダを目指した。しかし、彼らはなぜか生存には全く寄与しない多数の書籍や銀食器、歯ブラシに石鹸までボートへ積み込んでいた。加えて、艦を捨てて氷上へ進み出た生存者たちが直面した環境はあまりにも過酷で、燃料となる草木など全くないため、火をおこして暖を取ることも不可能だった。そして、すでに健康状態が悪化していたであろう隊員たちはひとり、またひとり倒れ、氷の世界に姿を消していった。
記録やメモが発見されていないため、艦から脱出した隊員たちの様子は点々と残された遺体や遺物から推測する他ない。遺体や様々な遺物から、脱出後まもなく隊員たちの結束は崩れ、生存者たちはいくつかの小集団に分かれたと考えられている。そして、生存者たちは極度の低温と飢えに苦しみ、やがて死んだ仲間たちの遺体を食べつつ、死の行進を続けたとされる。焚き火すらできない酷寒の地で、生き残りは遺体の肉かじり、骨を割って髄をすすり、飢えをしのいだのである。
だが、彼らもカナダ本土の小さな入江で力尽き、脱出行は全滅という悲劇的な結末を迎えたとされる。その入江では隊員たちの遺体や遺物が大量に発見されたことから、現在は「餓死の入江」と呼ばれている。
しかし、フランクリン隊の最後は謎に包まれており、本当に「餓死の入江」で全滅したのかどうかについても議論がある。中でも、アメリカの極地探検家チャールズ・フランシス・ホールは、地元の先住民から興味深い証言を得ている。それによると、先住民からアグルーカ(大またで歩く男)と呼ばれていたフランシス・クロージャーらが、彼らの助けを得て健康を回復した後、再びカナダ本土の交易所を目指したと言うのだ。
そして、クロージャーの遺体は発見されておらず、本当に餓死の入江がフランクリン隊終焉の地かどうかについては議論が続いている。ただし、先住民からアグルーカと呼ばれていた白人は複数存在しており、彼らの記憶違いや人間違いと推測する専門家も多い。
いずれにせよ、新たな遺骨や遺物が発見されない限り、真相は謎に包まれたままであろう。そして、フランクリン隊が死の行進を続けた一帯では、今もなお「人肉を口にくわえた白人の亡霊」がさまよいでるという。(了)