地図を見るとわかりますが、横須賀は山の多い土地です。中里神社は、京浜急行「横須賀中央駅」を降りて、脇にある平坂(ひらさか)を登るとあります。勾配の急な平坂は、横須賀の東西を結ぶ道の役割を担っています。横須賀中央駅周辺が港へ続く平地の入り口となっているからです。
中里神社のイチョウは、石鳥居の後ろに2本、階段を登った先にある社殿の脇に1本、立っています。鳥居の後ろにあるイチョウは、雌株と雄株が並んでいます。
社務所を訪れて、中里神社を管理している方にお話をうかがいました。3本のイチョウの樹齢は定かではありませんが300年と言われているそうです。台風などで倒れるおそれがあるため、傾き具合を見ながら、頭のほうや枝を落としているとのこと。
中里神社は奥まった場所にありますが、階段の下に来ると、石鳥居が小さく、後ろに立っている2本のイチョウが大きく見えます。付近の住民の方に聞くと、石鳥居の後ろに並んでいるイチョウも鳥居として、社殿の横のイチョウは御神木として信仰を集めていました。
中里神社の境内には神輿庫もあります。中里神社を出発した御神輿は、神社の急な階段や、横須賀の坂を練り歩きます。
中里神社を訪れたのは、受験シーズンの12月でした。学問の神様菅原道真公が祀られている神社などに比べると、もちろん数は少ないのですが、絵馬には地元の方々の願いが込められていました。また、手水舎には「よこすか・みこしパレード」の手ぬぐいがかけられ、訪れる人が絶えないことを伝えています。
中里神社から港方面を見渡してみました。高層ビルなどが建ち並び、海は見えませんでした。しかし、横須賀が村だったころは、高い建物はほとんどなかったはずです。
中里神社のイチョウの木は、そして、御神木の周りに集まった人々は、ペリーが黒船艦隊を率いて日本に開国を迫った様子や、戊辰戦争の時に東京湾から出港した咸臨丸や、日露戦争の時にバルチック艦隊と砲撃戦をした戦艦三笠や、戦争中に横須賀港に集結した、戦艦大和を頂点とする連合艦隊の姿などを、見つめていたのかもしれません。(竹内みちまろ)