この巻では主人公モンキー・D・ルフィとホーディー・ジョーンズとの戦いが佳境に入る。コラムでは海軍元帥センゴクと三大将、ガープの子ども時代が描かれ、魚人島編で出番のない世界政府海軍ファンも見逃せない。
この巻の見どころはホーディーの正体である。ホーディーは人間に激しい恨みを抱く点でアーロンと共通する。アーロンは魚人という種族優越主義から人間を痛めつける分かりやすい悪であった。その後、麦わら海賊団はシャボンディ諸島で逆に魚人が人間から差別されている状況を目の当たりにする。
アーロンの時よりもホーディーに共感する背景が存在するが、むしろアーロン以上に拒否感がある。それはホーディーと彼の率いる新魚人海賊団が攻撃の矛先を人間との共存を志向する魚人にも向けているためである。ここにアーロンとは異なる異常さがある。アーロンは人間の犠牲に成立したものであるが、魚人にとっては楽園になるアーロンパークを築いた。これに対してホーディーの行動は破壊ばかりである。
そしてホーディーには人間に激しい恨みを抱く被害経験がないことが明らかになった。憎しみの情報だけから生み出された空っぽの怪物であった。これは日本や欧米諸国で旧植民地出身者や移民者を排撃する排外的民族主義を連想させる。排外的民族主義者はマイノリティが優遇され不当な特権を得ているという類の妄想をたくましくして差別を正当化する。
インターネット上などで同じ考えの仲間で情報交換し、互いの偏見や排外思想を強化する。これは魚人街という不良が集まる閉鎖空間に集った新魚人海賊団の面々と重なる。また、排外的民族主義は外国人だけでなく、マイノリティを支援する市民運動家など同じ国民の意見の異なる人々を売国奴や非国民とラべリングして矛先を向ける。これも新魚人海賊団に重なる。
このホーディーの正体に気づいたフカボシ王子は魚人島(リュウグウ王国)の支配者層である。その彼がホーディーの正体を悟ると共に、憎しみを魚人街という隔離した場所に放置させたことを反省する。ここには「過去の恨みを水に流しなさい」という幼稚な説教臭さは無縁である。反対に貧困や差別を隔離することで見せかけの経済的繁栄を謳歌する格差社会に対抗する論理になっている。
(林田力)