さて自分の生業であるガラスオーナメントの需要ですが、2008年秋以降急降下だった仕事の請負も今年の初めくらいから、マリブの住民や医者、弁護士などのスぺシャリストからの注文で復活し始めました。私のパートナーであり、また会社のボスのマイクもさぞ喜んでいることでしょう。ただ未だに巷では、ファッションモールの空き店舗は1年以上も変化はないですし、ファンシーレストランはかなり暇そうです。
先週末、とうとうデニス・ホッパーが帰らぬ人になりました。数々の出演映画の中では、何回となく凄惨な死を披露した彼も実生活ではヴェニスの自宅で静かに亡くなられたそうです。デニス・ホッパーと言えば、監督と脚本、更にビリーの役で出演した『イージー・ライダー』や近年では『スピード』で演じた元警官の爆弾魔が有名なのですが、個人的には『理由なき反抗』での不良少年、その後のトム・リプレイを演じた『アメリカの友人』と『ランブル・フィッシュ』でのマット・ディロンとミッキー・ロークの父親役がたいへん思い出深いです。それぞれいろいろな方々のご意見は違うでしょうが、これが私のホッパー・ベスト3です。
アングリー・ヤングメンの代表であったデニス・ホッパーと実際に街で出くわしたことがあります。2003年の6月頃に、仲の良い友人と彼の奥さんと3人でアボット・キニーの小さなレストランで食事を終えたあと、夜でもかなり気温が上がってきた戸外を散策していました。すると、そんなに威圧感はないものの、存在感のある白い顎鬚が良く似合っている紳士がひとりで前から歩いてきました。紳士は、現在7歳になった息子を当時まだ身籠っていた友人の妻の前に来ると、いきなり中腰になって大きなお腹をゆっくりと擦り始めました。3人ともその紳士がデニス・ホッパーだと既に気付いていたのですが、急なことなので面喰いました。そして白い髭の紳士は「男の子だな。元気にしろよ」と声を掛けてくれました。その姿は、『ブルーベルベット』のフランク・ブースほどエキゾチックではなく、『フラッシュバック』でのヒッピーみたいにヒラリアスでもなく、たいへん感じのよい家庭人に思えました。
あれから随分時間が経って、アボット・キニーもここ暫く寂しくなっていましたが、また久しぶりに出かけてみようと思います。
今日は、『HELL RIDE』のDVDでも借りて、彼の偉業を再確認したいと思います。
写真:ヴェニスの水路
(川村朱里 レドンドビーチ市在住 ハウスウエアデザイナー)