「新潟、山形両県などを襲った今回の地震の震源付近は、北海道沖から新潟県佐渡島沖にまたがるプレート境界周辺でひずみが集中する一帯です。これまでも大きな地震が度々起きています」(サイエンスライター)
同一帯は北米プレートと、ユーラシアプレートとの境界にある。南海トラフのようにプレートが沈み込む形ではなく、2つのプレートがぶつかり合っており、ひずみが集中しているのが特徴だ。
戦後にこの一帯で起きたM7クラスの大地震は、1964年の新潟地震(M7.5)、’83年日本海中部地震(M7.7)、’04年新潟県中越地震(M6.8)、’07年新潟県中越沖地震(M6.8)などがある。今回の地震は東西方向から押し合う力が働いて起きた「逆断層型」。新潟地震や日本海中部地震も同様の逆断層型だった。
武蔵野学院大学特任教授の島村英紀氏が言う。
「北海道、東北が乗っかった北米プレートとその西側にあるユーラシアプレートがぶつかっているわけですから、ひずみはできやすい」
江戸時代にもM7級の地震は度々発生していたが、1833年の庄内沖地震以降は100年以上落ち着いていたという。
「庄内沖地震は山形県沖の日本海で発生したM7.5の地震です。7〜8メートルに達する大津波が庄内地方、能登半島を襲い、多数の溺死者が出ましたが、その後は静穏期が続いた」(前出・サイエンスライター)
ところが、’64年の新潟地震から地震が活発化した。
「日本海中部地震、新潟県中越地震、新潟県中越沖地震と続いていますから、ひずみが溜まっていることは間違いないようです。新潟県中越地震から3年後に新潟県中越沖地震が発生していることを踏まえれば、同じように数年以内に山形県沖で今回と同程度の地震が起こる可能性があります」(前出・島村氏)
現在、地震の活動期にあるとされる日本。絶対安全な場所はなく、どこにいても震度5〜6の揺れは覚悟しておかなければならないというのが、地震専門家らの一致した見方だ。
琉球大学理学部名誉教授の木村政昭氏には独自で「日本列島断層」と呼んでいるものがある。東北沖の日本海を通り、石川・能登半島周辺から日本列島に入り込んで、北米プレートと大陸プレートの境界から近畿・四国地方を経て、西端は長崎・島原の雲仙普賢岳に達する巨大な断層だ。
日本列島断層はさらに鹿児島から海に入り、沖縄、台湾にまで伸びている活断層と推定されるのだが、木村氏の「日本列島断層」説に照らし合わせると、台湾東部・花蓮で4月18日に起きたM6.1の地震もある意味、合点がいく。
木村氏は1000㎞以上ある中央構造線よりも「さらに巨大な日本列島断層の想定が必要である」と指摘している。新潟・山形地震が起こった一帯も、実は日本列島断層にかかっており、昨年6月に発生した大阪北部地震、そして’95年の阪神淡路大震災も、日本列島断層沿いで起きているのだ。
「力の根本は、伊豆・小笠原沖の空白地帯にあると思います。太平洋プレートが北米プレートを通じて押してきて、新潟・山形地震にもつながった。そもそも、大阪北部地震、3年前の熊本地震が発生したのも、同じ原因です」(木村氏)
つまり、日本列島断層は広範囲に渡って影響を及ぼすと見られているのだ。
「いまも、熊本で震度5の地震があるのは日本列島断層が活性化している証拠ですよ。裏を返せば、大阪北部地震の震源とは別の、日本列島断層付近の断層でいつ大きな地震が起きても、何ら不思議ではない」(前出・サイエンスライター)
大阪北部地震はM7以上の地震が想定されている「近畿三角地帯」と呼ばれる活断層密集地帯で発生した。その三角地帯とは福井県の敦賀湾を頂点にして、兵庫・淡路島から三重県の伊勢湾を底辺とした地域。活断層が集中し、江戸時代前期に起きた寛文近江・若狭地震(1662年、M7.6)、現在の三重県や奈良県で被害が出た伊賀上野地震(1854年、M7)などを引き起こしている。
「大阪北部地震は近畿三角地帯にあるうえ、3つの活断層、すなわち兵庫県神戸市北区から大阪府高槻市まで東西方向に走る『有馬―高槻断層帯』、大阪府枚方市から羽曳野市まで南北方向に走る『生駒断層帯』、大阪府豊中市から岸和田市まで南北方向に走る『上町断層帯』に近いのです」(同)
歴史を紐解けば、1586年に天正地震が発生し、10年後の1596年には慶長伏見地震…。この2つの大地震も日本列島断層沿いで起きているのだ。
「天正地震は日本海の若狭湾から太平洋の三河湾に及ぶ歴史上例のない巨大地震ですが、震源域もマグニチュードもはっきりした定説はありません。しかし、日本列島断層沿いで起こったのは間違いない。若狭湾はいまや“原発銀座”といわれる原子力発電所の密集地域で、もし巨大地震の再来があればとんでもないことになる」(同)