「スーフリ事件」とは、2003年5月18日に発覚した組織的な輪姦事件。早稲田大学の元公認のサークル「スーパーフリー」のメンバーである大学生らは「ギャルは撃つための公共物だぜ」を合言葉に1999年秋から常習的に女子大生への輪姦を行っていた。輪姦終了後に缶コーヒーをおごる、ファミリーレストランに連れて行く、無理やり笑顔を作らせて写真を撮るなどし、和姦を主張するための偽装行為まで行う周到さだった。
主犯とされる和田氏が逮捕されてから約30件もの被害届が出されたが、起訴されたのはうち3件だけ。早稲田大学のほかにも東京大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、学習院大学、日本大学といった首都圏の名門大学の学生ら計14人が準強姦罪で実刑判決を受けた。この事件は社会問題となり、2004年の集団強姦罪・集団強姦致死傷罪の創設につながった。
代表の和田氏は、ディスコや音楽業界にコネがあり、六本木のディスコで頻繁にイベントを開催。和田氏とメンバーは、こうしたイベントの二次会で女性を酒に酔わせ、犯行を繰り返していた。女性を酔い潰すために「スペシャルサワー」と称する特製の高アルコール飲料を常用。これを飲んで泥酔した被害者が昏睡状態に陥り、吐瀉(としゃ)物にまみれ気絶して全く反応しなくなっても輪姦は続いたという。
輪姦を始める契機となったのは、明治大学のイベントサークルで、もともと輪姦が活発に行われていて、このサークルとスーパーフリーをかけ持ちしているスタッフが和田氏に「スーフリでもマワしをやりましょうよ」と提案したことだったといわれている。
スーパーフリーのメンバーは10人弱の「鬼畜班」と約40人の「和み班」に分かれ、前者は強姦の実行を担当し、後者は被害者の酔い潰しなど強姦のほう助と被害者の丸め込みを担当していた。中には「鬼畜班」と「和み班」を兼ねるメンバーもいたという。他にも「ギャルズ」と呼ばれる計50〜60人程度の女性スタッフが在籍していた。彼女らは男性スタッフがチケットを売る手助けをし、自らの知人女性をイベントに連れていき男性スタッフに「献上」。その後、被害者をなだめる役割も担っていたという。
さらに2002年からは大阪・名古屋・札幌・福岡に支部を設立して全国制覇を狙い、これらの支部のスタッフを交えて輪姦を行うこともあった。
今回、関西在住ながらスーパーフリーの被害に遭った女性に話を聞くことができた。
2002年当時、女性(以下A子さん)は関西の大学1年生だった。知人に「新歓イベントがある」と誘われて、軽い気持ちで参加したのがスーパーフリーのイベントだったのである。
「まだ世間で騒がれる前だったので、スーパーフリーがそんな卑劣な集団だなんて知りませんでした。知っていたら行かなかったのに…」A子さんは悔しさをにじませながら語った。
「イベント会場は関西の有名なクラブでした。そんな場所に行ったことがなかったので、雰囲気に圧倒されてしまって…。印象的だったのは、他のサークルの新歓イベントと違って盛り上がり方が異様だったことですね。あと、女子は執拗にお酒を勧められました。私は未成年だったので断ったのですが、それでもしつこく『飲もうよ』と言われて仕方なく…」A子さんはうつむいた。
「和田さんも現場にいました。周りのメンバーが『和田さん、和田さん!』と、ヘコヘコしていたのを覚えています。和田さんの印象? 私が直接話したわけではないからかもしれませんが、大人しそうな人でした。だから周囲のスタッフの反応が異様に見えたんです」
たまたま、その日の和田氏のテンションが低かっただけかもしれないが、卑劣極まりない事件の主犯とは結びつかないイメージではないだろうか。
「結局、私は泥酔状態ながらも、なんとか他の子と逃げることができました。ただ、会場には100人以上いたので、知らない大学の子もいたし、全員無事だったのか…今でも気がかりです。その後、テレビで大々的に事件が報道されるようになって、ようやく自分も危なかったんだと気が付き、震えました。でも、当時はスーパーフリーのイベントに行ったなんて誰にも言えなかったです。自分が悪い気がして」と、A子さんは小さな声でつぶやいた。
スーフリ事件による被害者の数は非常に多く、スーパーフリー主催によるほぼ全イベントで強姦が行われていたと、裁判の公判で被告人の1人が証言。被害者の総数は400名以上とも報じられた。
被害者の中には泣き寝入りした人や自殺した人もいたという。事件発覚から16年経った。和田氏の告白によってA子さんのように再び心の傷をえぐられる女性が現れないことを願うばかりである。