武宮さんは一度寮長を退いていたのに、悪太郎の異名を取ったホリさんの入団で、再び寮長に返り咲いたんだよ。「手に負えない悪太郎に対抗するには、鬼の寮長・武宮しかいない」ということでね。
悪太郎vs鬼の寮長の対決は伝説になっているが、本当にすごかったよ。門限破りの常習犯のホリさんに対し、武宮さんは妥協することがなかった。ある日、朝6時に帰ってきたホリさんを、武宮さんが竹刀でバシバシ叩くんだ。寮長の部屋のマイクのスイッチが切られていないで、入ったままだから、自分の部屋にいるオレたちにも、その激しい音がそっくりそのままリアルに聞こえてくるんだよ。音だけだから、なおさら迫力があり、生々しく伝わってくる。いろいろ想像してしまうからね。
それでも武宮さんの目を盗んで、風呂場に隠れたり、知恵を絞って門限破り、朝帰りを繰り返したホリさんも立派だけど、決して甘やかさなかった武宮さんもさすがだと思ったよ。悪太郎がV9エースになれたのも、鬼の寮長・武宮さんの竹刀による愛のムチがあったからだね。
そのホリさんが7月の参院選に出馬する。当選して国会議員になったら、天国の武宮さんが誰よりも喜ぶんじゃないかな。「ホリよ、本当に立派になったなあ」って。竹刀を持った鬼の寮長は、実は、仏の素顔があるから、鬼にもなれるんだよ。
武宮さんが厳しかったのは、高校出の5年目までの選手に対してだった。大学や社会人出身の選手には、口やかましいことは言わなかった。一応、世間のことを知っているからね。ホリさんやオレみたいな高校を出てきたばかりの世間の常識も知らない悪ガキに対して、厳しい教育をしてくれたんだよね。そう考えると、高校を出て5年というのにも、特別な意味があるよね。大学を卒業するのと変わらない年齢だからね。
武宮さんには、もし野球を辞めて一般社会に出ることになっても、恥をかかないで済むように世間の常識を教えてあげたいという愛情があった。だから、竹刀を持った鬼の寮長は、一般社会常識の教育も厳しかったよ。電話の応対の仕方。親への手紙の書き方。実際にやらされて、きちんとできるまで何度でも反復練習させられる。
習字も参ったね。墨をすって毛筆で4文字書かされる。たとえば、「読売新聞」「国際連盟」などと言った具合にね。それが寮の玄関に張り出されるんだ。近所の酒屋さんやおばちゃんなんかの目にさらされる。下手くそだと思い切り笑われるからね。
正直言って、当時は野球選手なのに、なんでこんなことをさせられるのかと思ったが、今になれば本当に感謝しているよ。「親御さんから預かった大事な子供たちだから」と、親代わりになって我々を教育してくれたんだなと、武宮さんの気持ちが痛いほどわかるからね。
<関本四十四氏の略歴>
1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。
引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。