Manami「刑務所に少し馴れてきた頃に、少年院に行くことになりました。少年院というと町で悪さをした不良の集まりという感覚があったので、私たちが行っても…というちょっとした抵抗がありました。だけど実際そこで会った少年たちの眼は、すごくキラキラしていたんです。少年院では、握手してもいいということで会場内を歩き、歌いながら握手をしました。その時、彼らは純粋な目でちゃんと私達の目を見て握手してくれたんです。そういうことが出来る子がなんでここにいるんだろうと考えた時に、胸が熱くなりました。物の分別を教えてくれる大人とのコミュニケーションが取れていたら、ここにいなかったんじゃないかなと思いました」
Megumi「一般の人たちからすると罪を犯してしまった人が入っているので、被害者の方々の気持ちを考えると、どうなのかなって考えた時期も沢山ありました。そんな中で『Paix 2』が出来ることを探し続けてきました。ある時期から感銘を受けた本に書かれたメッセージやこれまで自分が感じてきた事をお話するコーナーをコンサート中に設けるようにしたら、涙ぐみながら話を聞いて下さる方を多く見かけるようになってきたんです。今では、せっかく矯正施設でコンサートをやるのだから、そういった時間を設けるのも私たちの役割だと思うようになりましたが、時々、同じようなスタイルでいいのかなというジレンマに陥ることがあるんです。これからも続けていくためにはどんな新しいことが出来るのかなとも考えます。最近、『Paix 2さんのようにボランティア活動をやりたい』と言ってくださるアーティストが、私たちの周りに集まって来てくれています。そういう輪を私たちから発信で広げていけたらいいなと感じています」
−− 全国を回るわけですが、体調管理は難しいですよね。
Megumi「本番の日を迎える1週間前に、喉を痛めて声が出なくなってしまったことが過去にありました。その間は『声が掠れて、いつもの明るいテンションじゃなく暗めになってしまうけど』と了解を得ながらコンサートしました。最後は根性だって思って勢いだけで歌いました」
−− 一時、精神的に辛かった時期もあったようですが。
Megumi「経済的に大変な時期もありましたが、人間関係に不信感を抱いて自律神経失調症に陥った時に、そんなことはたいしたことじゃないと初めて気付きました。一時期歌うことに自信がなくなって、もう歌手は辞めてしまいたいと思った事もありました。それまでに学んだことを話す講演活動に転換しようかなと思ったのですが、私が抜けることは『Paix 2』がなくなるということになってしまいます。だから、そういう訳にはいかなかった。だけど、自分は完璧に歌えない状態でステージに立っているわけで、そこの葛藤は本当半端ではなかったです」
−− 立ち直るのに苦労されたでしょう。
Megumi「最初、喉に症状が出ていたので普通の内科にかかっていたんですけど、メンタルな部分だとわかって薬を飲みました。でも、そんなことでは効きませんでした。結局自分で答えを見つけて乗り越えないと駄目で、どういう風に意識を治癒させていくかというのをノートに書き起こしました。これはいまだに続けています。自分の精神が落ちぶれた時と復活に至るまでの経過の記録を残して、最終的にそれを全部お話する機会を私はいつの日か設けるつもりでいます。今はまだこのユニットでやっているので、コンサートでしかその体験を表現できないんですけど、いずれはそういう形で様々な悩みを抱えていらっしゃる方々の心のケアに少しでもなれたらいいなと思っています」
−− 苦しかったですね。
Megumi「ですね。でも、何が苦しかったというと、音楽が大好きで音楽でストレス発散をできる人間だったのに、逆に“音楽”と聞くと拒絶反応を起こすようになってしまって。それなのに仕事がきているからプロとして歌わないといけない。『Paix 2』の歌を歌っている時だけは何とか対応できても内容的にどうだったかというと、全く自信はありませんでした。だから、本格的に自分らしさを見つけて、じゃあこれからどういう風に自分なりに歌っていこうかっていうのは、本当に最近になってからなんです」