しかし、駒姫の一行が京に到着した直後に、政変が起こって秀次は失脚。秀吉によって高野山に蟄居させられ、まもなく切腹を命じられた。
秀吉はさらに秀次の正室や側室、子供たちもすべて処刑する非情の命を下す。その処刑リストには駒姫も入っていた。
京に到着したばかりで、最上家の屋敷で旅の疲れを癒やしていた駒姫は、何が何だかわからないうちに捕縛され、処刑場の三条河原に引き立てられる。義光による必死の助命嘆願も間に合わず、無慈悲に惨殺されてしまった。
享年15。唯一の救いは処刑人が凄腕で、苦しむことなく一刀両断にされたことだろうか。