search
とじる
トップ > その他 > 【戦国武将】最後の姿は大名の娘らしく堂々と…

【戦国武将】最後の姿は大名の娘らしく堂々と…

pic pic

提供:週刊実話

 しかし、相手は豊臣秀吉の後継に指名された絶対的な権力者。しかも、女への執着心が強いストーカー気質である。再三の要求に義光もあらがいきれず、断腸の思いで側室に出すことを承諾している。文禄4年(1595年)に秀次のもとへ送られる。

 しかし、駒姫の一行が京に到着した直後に、政変が起こって秀次は失脚。秀吉によって高野山に蟄居させられ、まもなく切腹を命じられた。

 秀吉はさらに秀次の正室や側室、子供たちもすべて処刑する非情の命を下す。その処刑リストには駒姫も入っていた。
京に到着したばかりで、最上家の屋敷で旅の疲れを癒やしていた駒姫は、何が何だかわからないうちに捕縛され、処刑場の三条河原に引き立てられる。義光による必死の助命嘆願も間に合わず、無慈悲に惨殺されてしまった。

 享年15。唯一の救いは処刑人が凄腕で、苦しむことなく一刀両断にされたことだろうか。

その他→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

その他→

もっと見る→

注目タグ