坂本龍馬は同時代人の価値観を超越したヒーローである。仇敵関係であった薩摩藩と長州藩の間に同盟を成立させ、自らも土佐藩下士として恨み骨髄の相手である後藤象二郎ら土佐藩首脳とも提携した。薩長が武力討幕に進む中で、内戦を避けるために大政奉還を働きかけた。
龍馬の先進性は歴史作品の中で強調・誇張され、彼のキャラクターとなっている。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では刀から銃、銃から万国公法の時代になると見抜いていたというエピソードがある。今回の『JIN』でも龍馬は仁の説明する健康保険制度を即座に理解する頭の良さを示した。しかし、それ以上に今回の龍馬はカッコ悪い。
龍馬は仁に気付かれないように長州藩への武器売却をコソコソと進める。当時は幕府が長州藩への武器売却を禁止しており、秘密裏に売却する必要があった。しかし、この事情を踏まえても、そのコソコソぶりは明朗快活な龍馬らしくない。幕府に隠すためだけでなく、龍馬の内心の迷いや後ろめたさも反映している。仁に武器売却が露見した後は「戦は金のなる木」と死の商人丸出しの発言で開き直った。
第二次長州征伐では近代兵器で幕府軍を殺戮する長州軍に喜ぶ。日本人同士の殺し合いを嫌っていた龍馬はコチコチの武力討幕派になっていた。龍馬が力の信奉者に変わった契機は自分が殺されかけた寺田屋事件である。どれほどすばらしい考えを持っていても、殺されてしまったら終わりである。まず相手を力で従わせなければ考えを述べることも、世を動かすこともできないと考えるようになった。
幕府に襲われた龍馬が幕府を目の敵とすることは、必ずしも否定できない人間感情である。しかし、遺恨を超えて薩長同盟を成立させた龍馬の伝統的なイメージからは外れる。
変わってしまった龍馬を責める仁に対し、龍馬は「先生は特別な人だから、きれいごとばかり言える」と反論する。これも同時代人から見れば夢物語のような理想論を唱えていた伝統的な龍馬像からは離れている。同時代人から見れば龍馬こそ、きれいごとばかり言う特別な人間であった。
歴史上の龍馬は一個の人間であり、時代性を有する存在である。しかし、同時代人の中で龍馬を描くと、言動の先進性の故に同時代人から超越したキャラクターになりがちである。これに対して『JIN』では現代人の仁を対置させることで、等身大の龍馬に迫っている。未来の知識を持つ「特別な存在」の仁によって、龍馬の時代性が際立った。
もともと内野聖陽が演じる龍馬は泥臭さが高く評価されていた。内野は2007年放送の大河ドラマ『風林火山』でも泥臭い山本勘助を熱演している。これは頭脳派でスマートな軍師像を一新するものであった。人間臭い龍馬像を切り開く内野の演技に注目である。
(林田力)