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山口敏太郎の映画評『鬼神伝』〜鬼神と科学、正義のあり方

 高田崇史氏による小説『鬼神伝』がアニメーションになった。同作品は、鬼vs人の戦いを通して日本史の底流に流れる暗部をえぐり出している秀作だが、映像で何処まで再現が可能なのか。どのような形に仕上がったのか、大変興味深く拝見した。

 勿論、筆者は作家という職業柄、おおよそのストーリーラインは予想していたが、良い意味で期待通りの“王道的展開”で安心して楽しむ事が出来た。久々に子供たちに推奨できる良心的な作品であるといえよう。

 主人公は頼りない未成年。何気ない日常の中で異人と接触、異界に救世主として招かれる。己の運命に翻弄されながら救世主として覚醒し、対立概念を持つ対抗勢力と戦うが、その鬼と呼ばれた勢力にも違う見地からの正義があった。

 このあたりの設定は、『ハリーポッター』シリーズや『ナルニア国物語』でも同様であり、いわば“思い切り定番”ではあるが、平凡な日常生活の狭間に異界との接点を見出したがる未成年にはくすぐられる展開である。特に鬼とされた反体制派の人々が、朝廷の大義の名のもとに滅ぼされていく過程は、『もののけ姫』で描写された山に生きた化外の民と平地民との対立を踏襲しており、価値観の多様化を育成する意味でも未成年にはよく考察してもらいたいテーマである。

 この映画を見て痛感した事は、権力という名のもとに偽善を駆使し、真実を闇から闇に抑え込もうとした結果、大きな人災を招いてしまった原発問題との類似性である。いつの時代でも権力を持つ者は、大義のため世のためと己に嘘をつき、エゴに満ちた過ちを犯す。

 今回の作品でも偽善という仮面を被った権力者が真の悪として登場するが、その姿は科学という魔術を盲信し、国や大企業の利益のために庶民を犠牲にしようとした現政権や官僚たちと重なる。正義とは各自が自身に言い聞かせる“言い訳”であって、絶対なる正義など存在しない。今回の作品では正義論を考えさせられた。
(山口敏太郎)

※『鬼神伝』は、4月29日より全国ロードショー。
※写真はすべて「(C)ソニーピクチャーズエンタテインメント」。

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