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爆問太田、ナイナイを潰そうとしていた

 1月30日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で、太田光が過去をふりかえった。

 太田は先週の放送で、浅草キッドの水道橋博士とナインティンナインの岡村隆史の和解について言及し、「岡村は気が弱くて押し切られているだけ。博士は岡村を絶対に責めている」と述べていた。これを受け岡村は、25日深夜放送の『オールナイトニッポン』(ニッポン放送系)で「太田さんの言うことも一理あるかもしれない」と、考えがブレはじめていた。さらに、博士がTwitterで「ホント事実関係を時系列でひとつひとつ丁寧に教えてあげたいわ」と反論をはじめるなど三つ巴の戦いの様相を呈していた。

 30日の放送で、太田は再び騒動に言及。相方である田中裕二から「めんどうくせえからもういいよ」とたしなめられるも、太田は「博士、急に好感度あげようとしているのかな。あんな悪い人いなかったよ。何をいい人ぶってるんだ」とヒートアップした。

 だが、「俺も人のことを言えないんだけど」と話し始め、「岡村をボロクソ言っていたのは俺だからね。生放送やオンエアで『あいつら潰す』『ナインティナインぶち殺す』とか言っていたからね。俺らの方が潰れてるくせに」と述べた。

 90年代はじめにナインティナインは、雨上がり決死隊やFUJIWARAら吉本興業の若手芸人で結成されたユニット「吉本印天然素材(略称:天素)」のメンバーとして東京進出を果たす。天素(てんそ)は、ディスコミュージックに乗せてダンスを踊るなどしてアイドル的な人気を博していた。そうしたチャラチャラした態度が太田は気に入らなかったのだろう。

 さらに太田は、渡辺正行が主宰していた渋谷のライブハウス、ラ・ママで行われていたライブにも触れ、「当時は浅草キッド、爆笑問題、ジーコ内山、路上ゲロ持ち帰り隊みたいな、頭のおかしな奴しか出ていない。とてもじゃないけどテレビに出られないような連中ばかりで、そんな場所に出ながらわけもわからず、ちゃんとしたナインティナインをボロクソに言っていたんだから」と振り返った。

 続けて太田は、「俺は過去のことを隠していないのに、博士の方は急にいい人ぶってなんだ」「喧嘩した奴といまさら和解なんかする必要はないんだよ」と主張した。そもそも今回の騒動は、岡村の記憶違いに端を発しているが、太田の中にもそれはありそうだ。真実が明らかになる日を待ちたい。

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