きゃりーは雑誌の読者モデルとして活動を開始、2011年8月には音楽プロデューサー・中田ヤスタカプロデュースによるミニアルバム「もしもし原宿」でメジャーデビューを果たす。以来、ヒット曲を連発させ、東京・原宿文化の代表格として今なお注目を浴びている。
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一方で、“恋多き女”でも知られるきゃりーは2013年6月、『週刊女性』(主婦と生活社)にFukaseとの“花火デート”を報じられ、2014年6月にFukaseが自身のツイッターで交際が2年たったことを告白した。
ところが同年10月、きゃりー(当時21歳)が当時NEWS・手越祐也(当時26歳)との密会を『FRIDAY』(講談社)に報じられたのだ。同誌によれば同年9月、2人は都内の手越宅で逢瀬を楽しんだという。報道により、Fukaseと交際中だとされたきゃりーは手越と二股をかけていた疑惑が浮上し、ファンに大きな衝撃を与えた。
同年10月、ニュースサイト『東スポWeb』によれば、「手越が以前からきゃりーを狙っていた」と報じ、きゃりーについては「何とも最悪な男に引っかかってしまった」と皮肉った。その理由に、「手越は自他共に認める“スーパーヤリチン”」とダメ出し。実際、手越はこれまでに名だたる女性芸能人との恋仲がうわさされたり、元タレントを名乗る女性とのベッド写真が流出するなど、“女遊び”が派手だったといえる。
同サイトによれば、きゃりーはもともと厳格な家庭で育ち、“箱入り娘”だったという。それがまたたく間のブレイクで言い寄る男が激増し、「今回、手越の網に引っかかってしまった」とチクリ。きゃりーはあくまで、手越の“遊び相手”にすぎなかったとしている。
報道を受け、双方の所属事務所は「友達の一人」とコメント。すると同日、Fukaseはツイッター上でファンから「きゃりーちゃんのことも守ってあげてください。女の子って強がるけど、弱い生き物だから」と訴えられると、「まかせろ!!」と力強く返答し、揺るがぬ愛を宣言した。
一部では、Fukaseとドロドロの三角関係に陥ったとも報じられたが、その後の進展もなく騒動は風化。結局、きゃりーはFukaseという元のサヤに戻った。しかし、そのことでネット上ではちょっとした“炎上”騒ぎが起きていたようだ。
2015年4月、ニュースサイト『日刊サイゾー』によると、LINEの手越のタイムラインで未練タラタラなつぶやきが投稿されていたというのだ。記事では、Fukaseときゃりーの報道が出るたびに、手越が「まじうぜぇ」「ムカつく」などと、平気で書き込んでいたという。その一方で、同年5月のニュースサイト『アサ芸プラス』では“破局”の理由について、超わがままな手越に嫌気がさしたきゃりーが、結果的にFukaseを選んだとしている。
だが同年8月、Fukaseは暗号での破局を発表。破局の原因としてFukaseの異性絡みなど諸説あるが、“手越の件”も関係しているといわれた。
冒頭の件について、一部からは「売名」などとやゆされるきゃりー。近年では、「原宿KAWAiiカルチャー」の衰退により全盛期に比べ、人気が低迷したともいわれている。その影響からか、一時期は“歌手引退説”もささやかれたが、「ちゃんとヒットを作る」という野望からも歌手としての再起を図っているようだ。