「中学生の分際で、最前列というVIP席だったそうです。横一列で一緒に見たのは、のちにSMAPのメンバーとなる香取慎吾さん。まだ小学生で11歳でした。井ノ原快彦さんもいました。中居さんはテレビの世界のマイケルを初めて生で見て、16歳でショービジネスの面白さに触れました」(制作会社の放送作家)
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SMAPとしてデビューした5年後の96年、冠バラエティ「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)がゴールデンタイムでスタート。その10年後(06年)、歌のコーナーの収録で東京・TMCのスタジオにマイケルがやってきた。メンバーには内緒で、番組プロデューサーが水面下で何カ月にもわたって口説いていたのだ。
何も知らないメンバーたちは、いつも通り歌リハ。スタッフのミスで突然音楽が切れた。香取は膝から崩れ落ちたが、その直後にスタジオ上の副調整室から多くの取り巻きとともにマイケルが階段を下りてきた。黒いサングラスをかけていたため、ものまねタレントとも取れたが、尋常ではない取り巻きの数の多さで、メンバーは本物だと確信した。中居は本人に何度も、「マイケル・ジャクソン?」と確認。最終的には、「司会ができないよ」とうろたえた。
この2年後(08年)、SMAPの全国ドームツアーにマイケルの振付師だったファティマ・ロビンソン氏を招へい。翌09年、マイケルは50歳の若さでこの世を去った。翌10年、SMAPがリリースしたアルバム「We are SMAP!」のDISC 2に、中居のソロ曲「Memory 〜June〜」が収録。「N.マッピー」名義の中居が作詞・作曲・編曲したマイケルの追悼ソングだった。
「June」は、マイケルが亡くなった6月。MemoryとJuneで、マイケル・ジャクソンの「MJ」になる裏テーマもあった。変わらないあなたへの思いを抱きつつ、さようならを受け入れて、泣かないでと慰める内容の歌詞は、マイケルへのラブレターだ。
中居といえばSMAP時代から、徹頭徹尾バラエティ路線を貫いている。しかし実は、かなりロマンティスト。キャラ崩壊も覚悟のうえで、愛しいMJへの楽曲を制作していたのだった。
(伊藤由華)