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【放送事故伝説】「ドリフ最大のピンチ」を切り抜けた仲本工事さんの真の実力

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 10月19日、ザ・ドリフターズのメンバーの仲本工事さんが、急性硬膜下血腫のため亡くなった。81歳だった。

 仲本さんはドリフではメインボーカルを担当。1969年(昭和44年)から放送がスタートした『8時だョ!全員集合』(TBS系)では、得意の体操を活かした体力キャラで人気を博し、『全員集合』終了後は舞台俳優として活躍し、今年11月にも舞台出演の予定があった。

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 仲本さんと言えば、(失礼ながら)ドリフの中では加藤茶や志村けんさん(2020年死去)とは一歩引いた、目立たない地味なキャラクターであったが、ドリフのリーダー・いかりや長介さん(2004年死去)の著書『だめだこりゃ』(新潮社)によると、仲本さんはドリフの大ピンチを救った「救世主」であったという。

 『全員集合』開始から1年が経過した1970年、メンバー随一の人気者だった加藤が神奈川県内で交通事故を起こし入院。事故の原因は加藤の脇見運転で、加藤は1か月の活動謹慎となってしまった。
当時の加藤の小学生人気は凄まじく、番組に数週間穴を開けると、ようやく軌道に乗ってきた番組の人気が急激に落ちてしまう恐れがあった。

 リーダーのいかりやさんは「いじめられ役」の加藤の謹慎が決まると、苦渋の決断で加藤のポジションを仲本さんに任せる事にしたという。すると、普段あまりヤル気を見せず地味なポジションに甘んじていた仲本さんが、加藤の「いじめられ役」を継承。見事に代役を果たし、番組最大のピンチを切り抜けたという。

 「人気絶頂期の加藤の代役」という、一歩間違えれば放送事故になってもおかしくない状況で、仲本さんは持ち前の器用さでピンチを切り抜けたのであった(なお、仲本さんが加藤の代役を行った『全員集合』は現在公開されていない)

 なお、加藤の復帰後は仲本さんは元のポジションに戻り、その後1985年(昭和60年)まで続く長寿番組になった。

 その裏には、仲本さんの「陰の努力」が不可欠だったのである。

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