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当時、大木は末端の出演者だったため、メイクも自分たちで任されていた。大木は爪痕を残そうと思い、ほっぺにホクロを描いた。だが、収録後にスタッフから「ちょっと来い」と呼ばれ、「ホクロの意味を言え」と詰められたという。さらに、大木は「黄色いTシャツを着て行っただけで怒られた。冬なのに眩しいな」といった何とも理不尽なエピソードも披露。これには、ネット上で「これは怖い。全部見られているのか」「俺だったら収録行けなくなりそう」といった声が聞かれた。
また、この頃の大木は深夜ラジオ番組『ビビるのallnightnippon-r』(ニッポン放送系)のレギュラーも持っていた。深夜まで及ぶ収録を抜け出して出演。当時、ニッポン放送はフジテレビの局内にあったため、「2時45分までリハで移動して生放送」といったハードスケジュールをこなしていたようだ。大木は「あの頃は怖かった。全員待たせてたから」と当時の心境を語る。収録は午前11時に入るも、終わるのは翌日の朝の5時、6時がザラだったという。
こうしたエピソードを受け、オードリーの若林正恭は「今だったら帰すと思うよ」「『当時は…』で済まされるの『あちこちオードリー』多い。多分済まされないんだよね」とコメント。ネット上でも「拘束時間だけ見たら完全にブラック企業じゃん」「この頃のフジテレビってまだバブリーだったんだな」といった声が聞かれた。