キャイ〜ンは、ウド鈴木のボケキャラが注目され、地味な天野は今で言う“じゃない方芸人”の代表格の一人だった。ウドの人気が先行したため、「全然準備できてないから、ライブの時期をやらせてくれてって。1~2年はテレビのオファーを絞ってる時期があった」「ウドちゃんの人気というか、わーって注目されぐらいが怖かったね」「打ち合わせでも、(スタッフが)ウドちゃんと話して、(自分の)目見ないとかも全然経験したし」といった隠れた苦悩話を披露。これには、オードリーの若林正恭も「一年目で判断できるのはすごい」と感心していた。また、ネット上でも「確かに天野くんは昔、地味だったものな」「若手時代にこれはきついと思う」といった声が聞かれた。
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さらに、若手時代に出演した『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)は「ツッコミ墓場」と呼ばれる場所だったという。天野は「たけしさんが仕切る、たけしさんが突っ込めば成立するじゃない。あとは愉快な仲間たちというか」と話し、ツッコミの立場がなかったと回想。「矢部っちとかと二人で待つバスで悶々としてた時期もありますよ」と語り、ボケのナインティナインの岡村隆史の活躍を尻目に見ていた矢部浩之との辛い思い出も語っていた。このエピソードには、同じくツッコミの若林が深く頷く場面も。
天野は若手時代には、アイドル水泳大会の仕事を「自分が(実力不足で仕事が)出来ない歯がゆさと、本当にやりたくないのもあって」ボイコットした経験も語っていた。これには、ネット上で「確かに若手のツッコミは居場所がなさそう」「この悩みがあって今があるのか」といった声が聞かれた。