実際のネットの声には、「完全に日本人をバカにしてるし、軽視してる」「日本を蔑(ないがし)ろにしている」といったものの他、「間違いの中に本音が出ている」とする見方もあり、中には「わざとか?」「歓迎されてないから嫌がらせで言ったのでは」などと深読みする意見もあった。捉え方によってはただの言い間違いにすぎないささいなミスだが、バッハ会長はなぜここまで大きな非難を浴びてしまったのだろうか?
>>「#私はバッハに手を振れない」ロンブー淳が『バイキング』でSNS投稿提案 「イジメの誘導みたい」の声も<<
そもそも、コロナ禍での五輪開催について安全性を不安視する声が多かった。慎重な判断を迫られた日本政府だったが、なかなかハッキリとした答えが出せず、IOCとの力関係の弱さが指摘された。また、かねてから「貴族的すぎる」と批判があったIOC理事や委員の宿泊と移動についても不信感を示す声があった。
そんな中、4月28日に行われた5者協議で、同時通訳されたバッハ会長の発言の一部に「五輪も乗り越えることが可能」というものがあり、著名人も含め、「五輪は乗り越えるべきものなのか?」「乗り越えるべきなのはコロナでは?」との声が噴出。しかし、これは誤解であり、正確には「逆境を乗り越えてきた能力が日本国民にあるからこそ、この難しい状況での五輪は可能になる」という意味だったことを同月30日のオンラインメディア・ハフポスト日本版が報じたものの、バッハ会長に対する不信感が消えることはなかった。
IOCや日本政府・組織委に対して「日本の安全よりも五輪開催による利益が優先」という見方が強まる中、5月5日の米ワシントン・ポストは開催に苦言を呈し、バッハ会長が利益だけを追求する「ぼったくり男爵」であると評したことが話題になり、国内でのIOCやバッハ会長に対する反感はさらに強まった。
その後、バッハ会長は7月8日の5者協議で、「緊急事態宣言はどういうことなのか。それが五輪・パラリンピックにどのようなインパクトをもたらすのか、お話をうかがいたい」と発言。4月の記者会見でも「緊急事態宣言はオリンピックとは関係ない」と発言して非難を浴びていたこともあり、「あまりにも日本の事情を分かっていない」と反感を買った。また、同協議内で、「東京などの感染状況が改善されれば無観客を見直すべきだ」「日本のプロスポーツが有観客で開催されている。五輪と別の対応で理解に苦しむ」と述べており、これも非難の的となっている。
そんなバッハ会長が今月16日に広島を訪問することが決定したと報じられると、今度は「ノーベル平和賞狙い」であるとの見方が加わり、名声を得るための策略として負の遺産を利用すると捉えられ、さらに印象が悪化。地元市民団体は12日、被爆地を政治利用し被爆者を冒とくするものだとしてバッハ会長の訪問中止を求め、広島県と市に申し入れた。
そして13日、バッハ会長の「チャイニーズピープル」の言い間違えによって国民の反感はピークに達し、以前から指摘されていた中国びいきとの声も噴出した。憤る声の中には、もともと中国人に偏見があったり、日本人を含むアジア人へのヘイトクライムの被害の原因になったとして中国人に拒絶意識がある人も混在しており、こうした人たちの怒りの声は特に勢いの強さがうかがえた。
コロナ禍以前は、国内で特に大きく取り上げられることもなかったバッハ会長だが、今や一挙手一投足に注目が集まり、批判の的になっている。こうした流れから見ても分かるように、人は不信感につながることが度重なると、悪い印象が定着してしまい、言動や行動が何かと悪い方向に捉えられやすくなってしまう傾向がある。そうなると、たとえ捉え方に誤解があったことが訂正されても、一度固定されてしまった悪印象は簡単に払拭されない。このように、自分の信じていることを支持する情報だけを収集し、それを否定する情報をスルーしようとする「確証バイアス」という心理現象は、日常の中でもよく見られる。
また、バッハ会長の海外からの悪評も、第三者が発信した情報は信頼されやすい傾向があるという「ウィンザー効果」があったとみれば、その影響の大きさはうなずける。加えて、長引くコロナ禍でのフラストレーションが、政府やIOC、バッハ会長に向けられる怒りを増幅させている可能性も否めない。
不本意にもすっかり悪印象が定着してしまったバッハ会長だが、バッシングが多い中でも、憶測にすぎないような悪評を「いきすぎ」「まるでいじめのよう」として冷静な立場から指摘する意見も出てきている。
文:心理カウンセラー 吉田明日香