黒田の不倫騒動で思わぬ流れ弾を食らったのがタレント・陣内智則だ。陣内は、2006年12月に女優・藤原紀香と婚約会見を開き、07年5月にホテルオークラ神戸で結婚披露宴を盛大に開催。披露宴で陣内はコブクロの『永遠にともに』(04年10月発売)の弾き語りを熱唱し、永遠の愛を誓った。
2人の出会いは2006年放送のドラマ『59番目のプロポーズ』(日本テレビ系)での共演。当時、大阪に仕事の拠点を置いていた陣内は全国区での知名度が低く“格差婚”とはやし立てられていた。披露宴の模様は完全生中継され、関西地区では40%の視聴率(ビデオリサーチ調べ)をたたき出し、総額費用は推定5億円ともいわれた。
「陣内は全く弾けないピアノを極秘で猛特訓。決して上手とはいえないながらも『永遠にともに』を披露した姿に藤原は号泣し、日本中が感動に包まれました。『永遠にともに』は発売当初から結婚式の定番ソングとして人気を集めていましたが、陣内の披露宴がきっかけでさらにヒートアップしました」(芸能ライター)
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2007年6月、藤原は『スッキリ!!』(同)に出演。番組では陣内の浮気について、「夫婦で人生は長いですからね。(浮気は)あるんじゃない」と余裕の発言をしていた。
しかし2009年3月、2人は離婚に至り、陣内は単独で離婚会見に臨んだ。総勢100名の報道陣が詰めかける中、「全て僕の原因です」と自身の女性問題を認め、「去年の夏頃、僕の浮気が発覚しまして、もう一度やり直そうという話に」と明かした。陣内は夫として改心したが、「やはり彼女(藤原)が(僕を)許せなかった」と離婚の経緯を説明した。
「会見で陣内は、複数の女性と関係を持っていたことを示唆。そして、そのうちの一人とみられる大阪の20代女性が、陣内との情事を2009年3月発売の『FRIDAY』(講談社)にブチまけたのです。同誌によると、関係は披露宴を挙げた直後の2007年7月から5カ月間にわたっていたというから藤原のショックも相当なものだったのでは。“セフレ”のような付き合いだったとはいえ、離婚前の取材に応じた藤原の母いわく、『芸人の嫁になるんですから、2人や3人なら我慢します』と証言していたことから、不特定多数の女性との性行為が日常茶飯事に行われていたのでしょう」(前出・同)
同月、藤原も公式サイトで「心も体も壊れた……」と沈痛な胸のうちを明かし、悲惨な夫婦生活だったことをうかがわせた。
「陣内の離婚により『永遠にともに』のイメージが悪くなり、コブクロは一時期、ライブでは封印したよう。そして、2015年に入って久々に解禁したものの2016年10月、今度はメンバー・小渕健太郎が『週刊新潮』(新潮社)に過去の不倫をスッパ抜かれる始末。自ら墓穴を掘り、同曲は再び封印されたとも」(芸能関係者)
これまで、バラエティー番組でも散々ネタにされてきた陣内の『永遠にともに』。小渕に続き、黒田の騒動ではたまた、かつての失態が蒸し返されている。“愛の名曲”は今度こそ、封印されてしまうのだろうか。