ダウンタウン(浜田雅功、松本人志)が東京に進出した頃、まだ大阪で活動していた今田は、仕事がゼロになったという。彼らと一緒に東京に行くものだと思っていたと回顧しつつ、「俺、イタイから、ダウンタウンさんって俺含めた3人組やと思っていた。東京でやる3人のコントで呼んでもらっていたりしたから……勘違いしていた。激イタやろ?」と明かして笑いを誘った。
その後、今田も東京に進出。師匠的な存在でもあるダウンタウンに呼ばれた形で東京に来ているため、関東芸人には負けたくない気持ちがあったという。深夜番組『殿様のフェロモン』(フジテレビ系)で中山秀征とレギュラーが一緒になった際、プロデューサーから「ヒデちゃん」と呼ぶよう要求されたことがあった。しかし、今田は「ずっと『中山くん』って呼んでいた。あの頃の自分にビンタしたい。“なんで?”って」振り返った。
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「これまで今田が担っていたMC年表を見ていく中で、1995年から半年間MCをしていた夕方の帯番組『今田耕司のシブヤ系うらりんご』(フジテレビ系)の話に。東野、ナインティナイン、極楽とんぼなどが出演するバラエティーで、当時今田は29歳。まだ尖っていた頃だったそうです。今田は『生放送でひがしのり(東野)が、罰ゲームで子どもにおしっこかけられていたからなぁ』と告白。『どうかしていた時代』と述べていました」(芸能ライター)
今田の後輩・東野の話ではこんなエピソードも。吉本の若手芸人として活動する中、東野の同級生が大学に進学。その同級生が女性とコンパをして楽しんでいると聞いたため、現・吉本興業ホールディングス代表取締役会長の大崎洋氏に「コンパしたいんで辞めます」と言い、一度吉本を離れたのだとか。今田は「吉本を辞める先駆けよ!」と笑わせていた。