練習試合・OP戦は他球団と戦う対外試合でOP戦については順位も出るが、あくまでも開幕に向けた調整の一環として行われる。そのため、これらの試合で両軍がヒートアップするような事態はほとんど起こらないが、過去に前代未聞の乱闘が勃発した試合がある。
1990年3月15日、ナゴヤ球場で行われた中日対西武のOP戦。8回裏、マウンドに上がっていた西武・鹿取義隆の手元が狂い、打席に入っていた中日の助っ人・ディステファーノの右肩付近に直撃。鹿取はすぐに帽子をとって謝罪するも、ディステファーノはバットをマウンド方向に放り投げ激怒。不穏な空気を察したのか、西武捕手・大宮龍男はすぐに制止に入った。
ところが、ディステファーノは怒りを収めるどころかさらに激怒すると、大宮と取っ組み合いながら顔面を何度も殴打。これを見た両軍ベンチからはすぐさま選手・コーチが殺到し、あっという間に両軍入り乱れての大乱闘に発展した。
西武・森祇晶監督、中日・星野仙一監督の両指揮官も参戦した乱闘はしばらく続き、一度は収まったかのように見えた。ところが、状況が落ち着いた隙をついて、ディステファーノが西武・広野功コーチにつかみかかったため再燃。その後、ディステファーノが退場処分を受けてグラウンドを去ったためようやく沈静化した。
当時の報道によると、OP戦での退場劇はそれまで過去4度あったというが、この4回はいずれも審判への侮辱行為によるもので、乱闘での暴力行為による退場は初めてだったとのこと。直接殴られた大宮を含め幸いにも目立った怪我人は出なかったが、ディステファーノは退場処分を受けた後も、ベンチ裏で壁や周囲の備品を殴ったり蹴ったりと大暴れだったという。
なお、とばっちりを食らう羽目になった大宮は、この時の状況について後年に出演したテレビ番組などで明かしている。大宮によると、ディステファーノに対しては「ストップ!」と英語で言いながら制止に入ったというが、全く聞く耳を持たれずに殴られたとのこと。また、大宮は前年の1989年まで中日でプレーしていたため、「反撃しようにも、相手は去年までの仲間なので行くに行けなかった」という。
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乱闘劇を引き起こしたことによりリーグ側から制裁金10万円と厳重注意を受けたディステファーノだったが、シーズンに入っても自身が発端ではない乱闘でどさくさまぎれに相手コーチを殴って退場処分を受けたり、ナゴヤ球場のベンチを破壊して球団から罰金を受けたりとやりたい放題。ただ、肝心の成績は「56試合・.215・5本・14打点・39安打」とサッパリだった上、同年7月の二軍落ちを機に球団に退団を申し入れ翌8月に解雇されている。
公式戦ではない試合で激昂し、前代未聞の乱闘を引き起こしたディステファーノ。球界ではこれまで数多くの助っ人がプレーしているが、気性の荒さだけでいえばトップクラスなのかもしれない。
文 / 柴田雅人