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松任谷由実「3月や4月はパニックでした」39作目のオリジナルアルバムに込めた思い語る

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⒞JAPAN LIVE YELL project

 歌手の松任谷由実が24日、都内で開催された「JAPAN LIVE YELL project」のエール・アンバサダー就任発表会見に出席した。

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 同プロジェクトは、コロナ禍で打撃を受けた文化芸術活動の再開を後押しする取り組み。文化庁、芸団協、全国27の都道府県の文化芸術団体などが協力し合い、2021年3月まで全国各地で地域の特性を考慮したイベントを展開していく。

 松任谷は今年のコロナ禍の現状について、「わたし自身、3月や4月はパニックでした。世界中が朽ち果てていくんじゃないかという不安な気持ちに、生まれて初めてなりました」と述べ、「でも、それが夏少し前くらいに、創作意欲がなぜか湧いてきて、未曾有の年をなんとか記録したいという欲求も出てきたんです。シンガーソングライターですから『歌を作らないと』って、レコーディングを始めて、アルバム完成に向けて着々と準備することにしました。なんとしても今年発表したいって」と途中から気持ちを切り替え、創作に取り組んだという。

 そうして完成させた作品は、12月1日に39枚目のオリジナルアルバム「深海の街」として発表する。アルバムのオープニング曲は今年で100歳を迎える母親の生まれた年を冠した「1920」。「私の母がこの春100歳を迎えました。100年前に生まれたということなんです。100年前は一体どういう年だろうと調べましたら、1920年。今とびっくりするくらい状況が似ていて、『アントワープオリンピック』も様々な理由から閑散としてしまっていたり、スペイン風邪が大流行していたり。一方で、この年に生まれた文化芸術が今の文化芸術の礎になっていることも多い」と曲に込めた思いも語る。

 「大正生まれの母は、モダンガール、モダンボーイという言葉があったようにエンターテインメントが大好きだった。わたしもそのおかげで子供の頃からいろんなものを見せてもらえた。わたしの幼稚園の時に母が、『この子は宝塚に入れたい』と(知人に)言っていたのを覚えていたりもするんです。今のユーミンのまさに英才教育をしてくれた人です」と母には感謝しきり。

 最後に新作について、「このキャリアになっても、何としても音楽的成長を示すんだという意欲をみなさんに感じてもらえたら嬉しい、そんな内容になっています」とアピールしていた。

(取材・文:名鹿祥史)

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