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二宮がアカデミー賞俳優になったウラにジャニーさんのドッキリ

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 ジャニーズタレントにとってテッパンネタといえば、“ジャニーさんあるある”。昨年7月に逝去したジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川元社長の愛おしくも、時には厳しい制裁によって、普通の子どもたちは洗練され、大スターになった。

 ​>>ギネスアーティスト嵐の二宮が「ミュージックステーション」にこだわるワケ<<​​​

 “億ドル”となった嵐は、メンバー5人のうち大野智、櫻井翔、二宮和也の3人は10代のころ、辞めることしか考えていなかった。それでも、先手を打つジャニーさん戦法でチャンスを与えられ、つかみ切った。

 二宮は、およそ21年にわたる俳優人生で頭を丸めたのは3回。嵐で最多だ。98年の元日に放映された松本清張ドラマ「天城越え」(TBS系)では、してやられた。
 「14歳のとき、歌番組『COUNT DOWN TV』(同)のリハーサルと聞かされてTBSに行くと、『二宮和也 断髪式会場』という謎の張り紙が…。会議室に案内されると、有無を言わさずイスに座らされ、集まっていたマスコミの前でバリカンを入れられたのです。30分ほどかけて15センチ以上もバッサリ。そうして、『天城越え』の主役・田中美佐子の相手役が決定したのです」(当時を知るスポーツ新聞の芸能記者)

 前年の97年、ミュージカル「STAND BY ME」に松本潤、相葉雅紀、生田斗真と出演。ジャニーさんはこの中からドラマに抜てきしようともくろんでいた。条件は丸坊主。二宮を呼び出し、「(ほかの)3人が坊主にしたくないって言ってるから、おまえ、してくんない?」とお願いした。二宮は断った。そのためジャニーさんは、強行突破に踏み切ったというわけだ。

 「天城越え」の8年後(06年)、ジャニーズタレント初となるハリウッド映画「硫黄島からの手紙」で再び坊主に。クリント・イーストウッド監督に絶賛され、国内外から高い評価を得た。同年には、スペシャルドラマ「少しは、恩返しができたかな」(TBS系)で、ガンと闘う高校生を熱演。本番で、地毛を自ら剃った。
 ハリウッド俳優にして、16年には「第39回日本アカデミー賞」で最優秀主演男優賞を受賞。吉永小百合と共演した映画「母と暮せば」で、俳優としての伸びしろを見せた。

 10月2日には、主演映画「浅田家!」が公開。嵐の活動休止前の作品で、俳優ニノは何を見せるか。

(伊藤由華)

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