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【知られざる芸能史】週刊誌記事が原因で自殺を選んだ美人モデル

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 2020年5月、若者を中心に衝撃を与えたプロレスラー・木村花選手の自殺事件。現在までにわかってない事も数多いが、自殺の引き金となったのは、SNS上での彼女に対する誹謗中傷が原因ではないか、とされている。

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 さて、芸能人が誹謗中傷を受けて自殺する事件は、昭和時代から現在まで数ケース確認されているが、最も早く世間の関心を集めたのが、今から50年ほど前の1969年に発生した「太田八重子自殺事件」では無かろうか。

 1969年(昭和44年)12月10日、静岡県三保の海岸で若い女性の自殺体が発見された。遺体は太田八重子というヌードモデルで、その後自宅から遺書が発見された。

 遺書には「奥様にはご迷惑をおかけしました。私が悪いのです」と書いてあったという。
 太田はこの年、ヌードモデルとしてデビュー。彼女を撮影したヌード写真は「永遠の処女」「これまで登場したヌードモデルで最も美しい」と一部で話題となった。

 彼女のヌード写真「賛歌」は5年に渡り撮影されたもので、撮影期間中の19歳から24歳まで、「撮影が終わるまで恋愛禁止」「酒やたばこ、コーヒーも禁止」というかなりストイックな撮影が行われていたという。

 太田はこの撮影が終わった後は、スターモデルとして新たなステージに行けるはずだった。しかし、前述の通り、突然命を絶ってしまう。その理由はある週刊誌報道にあったという。

 実は、太田はヌード写真が世に出る前、妻子ある男性と恋仲になっており、ある週刊誌に不倫のことが暴露されたのだ。
 そこには、「夫を奪った女」として太田の事が書かれており、しばらくして世間からバッシングされるに至り、太田は自死を選んだのではないかとされている。

 太田は19歳からカメラマンとヌード写真の撮影はしているものの、芸能界デビューはヌード写真が発表されてからであり、世間からの心無いバッシングに、芸能界1年生の彼女の心は耐えられなかったのではないかと思われる。

 その後、太田は伝説的なヌードモデルとして芸能史に名前を残し、1990年には「遠すぎる渚―太田八重子愛と死のなぞ遺して」という研究本も発売されている。

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