>>南キャン山里がTwitter復活、それでもやまない『テラハ』巡る誹謗中傷 以前の調子に戻るには時間がかかる?<<
さて、芸能人が誹謗中傷を受けて自殺する事件は、昭和時代から現在まで数ケース確認されているが、最も早く世間の関心を集めたのが、今から50年ほど前の1969年に発生した「太田八重子自殺事件」では無かろうか。
1969年(昭和44年)12月10日、静岡県三保の海岸で若い女性の自殺体が発見された。遺体は太田八重子というヌードモデルで、その後自宅から遺書が発見された。
遺書には「奥様にはご迷惑をおかけしました。私が悪いのです」と書いてあったという。
太田はこの年、ヌードモデルとしてデビュー。彼女を撮影したヌード写真は「永遠の処女」「これまで登場したヌードモデルで最も美しい」と一部で話題となった。
彼女のヌード写真「賛歌」は5年に渡り撮影されたもので、撮影期間中の19歳から24歳まで、「撮影が終わるまで恋愛禁止」「酒やたばこ、コーヒーも禁止」というかなりストイックな撮影が行われていたという。
太田はこの撮影が終わった後は、スターモデルとして新たなステージに行けるはずだった。しかし、前述の通り、突然命を絶ってしまう。その理由はある週刊誌報道にあったという。
実は、太田はヌード写真が世に出る前、妻子ある男性と恋仲になっており、ある週刊誌に不倫のことが暴露されたのだ。
そこには、「夫を奪った女」として太田の事が書かれており、しばらくして世間からバッシングされるに至り、太田は自死を選んだのではないかとされている。
太田は19歳からカメラマンとヌード写真の撮影はしているものの、芸能界デビューはヌード写真が発表されてからであり、世間からの心無いバッシングに、芸能界1年生の彼女の心は耐えられなかったのではないかと思われる。
その後、太田は伝説的なヌードモデルとして芸能史に名前を残し、1990年には「遠すぎる渚―太田八重子愛と死のなぞ遺して」という研究本も発売されている。